加藤登紀子が語る訳詞、世界中を回って歌を歌うこと

リベルタンゴ / アストル・ピアソラ

田家:流れているのはアストル・ピアソラの「リベルタンゴ」。

加藤:この曲は、ピアソラの演奏曲。映画のテーマになったり、いろいろなアレンジでものすごく有名になった曲なんですね。私はどうしても歌いたかったんですよ。作詞して。

田家:日本語詞っていう。

加藤:探した限りは演奏曲で、誰も歌ってない。なので、私はこの詞を作るときにアストル・ピアソラという人がタイトルにどういう意味を込めたのかな想像して書いたんです。彼はユダヤ人でアルゼンチンで生まれたけど、すぐニューヨークに行った。どちらかと言うと異邦人。自分の故郷に戻ってきても、彼はバンドネオンの名手だったから重宝がられるんだけど土着的な安心感がなくて。なんとかアルゼンチンから逃れたい気持ちが強かったんですよね。ニューヨークでジャズも聴いて自分のアルゼンチンに戻ってきたときに、タンゴのバンドに入るんだけど、飽き足らなくてフランスまで行って。ナディア・ブーランジェという彼にとっての師匠から「いくらあなたがあがいても、あなたの体の中にあるアルゼンチンの匂いは消えない。あなたの最大の財産はそのアルゼンチンだ」って言われて、もう1回帰って、独特のタンゴ、自分の音楽を作ろうと決心してきた。自由を求めていろいろな人を裏切り、さよならを告げあくまでも自分を追い求めて世界を放浪した人なんですよ。それが「リベルタンゴ」の意味だと。自由を手にするために別れを告げた人に心から終わりなき愛を今こそ歌おうというような歌詞とか、なんとなく私がピアソラという人になりきったつもりで「リベルタンゴ」の意味を歌詞にしました。

リベルタンゴ / 加藤登紀子

田家:1998年のアルバム『TOKIKO DANCE 踊れ時を忘れて』。さよなら私の愛した20世紀の歌たちの3作目でした。

加藤:1974年にこの曲は作られているらしくて。70年代、いろいろなことが南米で起こって、たくさんの人がヨーロッパに亡命したんですよね。このときもアルゼンチンにいるのが嫌で、ピアソラはイタリアにいたときだったと言われているんです。ある意味で軍事政権があったことで、全世界に逆に南米の音楽が出ていったという時期でもあるんですよね。

田家:そういう中でピアソラさんの人生を思い馳せて、この「リベルタンゴ」の日本語詞が生まれたわけですね。先週はジャック・ブレルさんの曲を後半に3曲選ばれてましたが、今週はピアソラさんの曲が3曲選ばれていますね。

加藤:ピアソラの音楽は、こういうものを作らせる力ってなんなんだろうと思うくらい好きなんですよね。3曲あってこそ初めてピアソラへの私の愛が伝えられるかなと思って。

田家:タンゴにエレキギターを持ち込んだ。タンゴの革命って言われた人。

加藤:革命と言われていますね。古典的なアルゼンチンタンゴもとても好きなんだけど、ピアソラがやった音楽はクラシックのミュージシャンともジャズのミュージシャンとも一緒になれるような、普遍的な音楽の構造として、自由さがあるみたいですね。

忘却 / アストル・ピアソラ

加藤:これも演奏曲として作られたものなんですけど、私はミルバが歌っている歌で聴きました。フランス語で歌っていたんですよ。

田家:イタリアの人ですよね?

加藤:イタリアの人なのにこの曲に限ってフランス語で歌っていたんですね。どういう経緯でこれがフランス語の歌になったのかは分からないんですけど、そのフランス語詞をもとに日本語詞を作りました。これはわりと忠実に翻訳しました。

田家:フランス語を忠実に翻訳した日本語の歌です。加藤登紀子さんで「忘却」。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE