音楽を「撮る」ことの意味、愛だけではなく「手法」や「哲学」の大切さ

写真や文章は「アーティストを売るため」にあるのか?

矢島:ハタさんの過去のインタビュー記事とかを読むと「人生」というワードが何度も出てきて、きっとそれがご自身の創作の大事なテーマなんだろうなと思っていたんですよね。

ハタ:そうですね。 僕がお仕事で撮っているアーティストさんも、アーティストの前にいち人間だから、「この人が売れるための写真」には正直興味ないという気持ちがちょっと、というか、かなりあるんですね。僕の中では、その人がつまずいちゃったときとか、何かを思い返したいタイミングに、「自分を自分で認められる」という写真であることが絶対条件。「あのとき、あなたは生きてましたよ」ということが見えて、その人自身が喜んでくれたら一番嬉しいです。そのアーティストを応援しているみなさんが喜んでくれることよりも、本人の「嬉しい」という感情が何よりも重要で、そのために写真を撮り続けたいんですよね。5年後、10年後とか、何かあって見返してもらったときに、そういう写真になっていたらいいなという想いが、仕事の写真では強いかもしれないです。


Aile The Shota、SKY-HI/Photo by Satoshi Hata

矢島:アーティストって、「私たちとは違う華やかな世界で派手に生きている」みたいなイメージで世の中に捉えられることがあると思うんですけど、そうじゃなくて、同じように1人の人間で、1人の生活者なんだ、ということは私もインタビューをするときに大事にしている視点ですね。

ハタ:僕たちも気を遣うところはあるけど、「あなたはアーティストですよね」という接し方よりも、「同じ人間として」というふうに話したほう方が確実に何かが見えてくる感じがしますよね。

矢島:「アーティストが売れるための写真を撮ってない」という話でいうと、私の場合、そこは難しいラインだなと思っていて。正直、アーティストが取材を受けるときやライブレポートを発信したいときって、目的の半分以上はプロモーションで、私自身もアーティストや作品を広めることを考えなきゃいけない立場に立たされる。でも本質的なところでいうと、インタビューとは、そのアーティストがまだ言語化できてない思考の巡りを形にして、それが次の作品やライブに活かされていくような、クリエイティブの循環のひとつとしての機能もあるはずで。あとはもちろん、文化的資料を残すためでもある。商業音楽の世界だとどうしても「プロモーションのため」が表面上では強くなっちゃうけど、私たちが今、たとえばビートルズや坂本龍一さんの昔のインタビュー記事を読んで感動したり学びを得たりするように、歴史を紡ぐ役目もあるはずなんですよね。アーティストやその周りのスタッフ、メディアの会社の方とか、いろんな立場の人と関わって仕事をするので、どの考え方も無下にはできないと思いながら、どうすればアーティストや文化にとって本当にプラスになる記事を作れるのかを常に試行錯誤してますね。

ハタ:もちろん、商業的な面もめちゃくちゃ大事ですからね。

矢島:アーティスト本人も「商業のためだけに音楽を作ってるわけじゃない」「でもそこも大事だ」というところに常に立たされていると思うし、それは周りにいるクリエイターたちも同じですよね。音楽記事が「商業」か「文化」かでいうと、「ウェブメディア」と「雑誌」、それぞれの役割もあると思います。みんなに拡散されたい、誰かに検索されたときにいつでも情報にたどり着ける状態にしておきたい、といった商業目的ならウェブが適しているけど、ウェブに載っている記事は、その会社が潰れたりプラットフォームがなくなったりすると一生読めなくなる可能性があるじゃないですか。消える危険性が常にある。このさきがどうなるかわからないですけど、今はまだ紙に印刷されているものしか歴史的財産として残っていかないから、たとえば50年後も読み継がれるものは雑誌しかないと思うんです。だから私はウェブの仕事をしつつ、雑誌の仕事もやっているところがあるんですよね。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE