刑部芳則が語る、J-POPの元祖・服部良一が戦時中に作った楽曲の幅広さと抵抗

笠置シヅ子・服部良一

音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送してきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」として生まれ変わりリスタート。1カ月1特集という従来のスタイルに捕らわれず自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫る。

2023年12月の特集は、「笠置シヅ子と服部良一」。4週目は、コロムビア・レコードから発売になった2枚組アルバム『服部良一の世界』を中心に、解説を執筆した日本大学の教授・刑部芳則を迎え、歴史を掘り下げていく。

田家:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」マスター・田家秀樹です。今流れているのは「一杯のコーヒーから」。歌っているのはミス・コロムビアと霧島昇さん。作曲が服部良一さん、作詞が藤浦洸さん。1939年、昭和14年に発売されたコーヒーを歌った一番古いヒット曲。先週と今週の前テーマはこの曲です。



先週と今週は『淡谷のり子の世界』『渡辺はま子』の世界も含めてお聴きいただいております。今月4週間のゲストはこの4アーティスト、4枚のアルバムの選曲、解説をお書きになった日大教授・刑部芳則さんをお招きしております。朝ドラ『ブギウギ』の風俗考証担当、1977年生まれ、日大での専門は日本近代史、昭和歌謡史の研究家です。こんばんは。

刑部:こんばんは。今回もよろしくお願いします。

田家:よろしくお願いします。4週目に入りました。

刑部:いよいよ千秋楽という感じですね。

田家:今週はついに淡谷のり子さんが出てきますね。うれしそうですね(笑)。

刑部:もううれしいですね。ようやっと出てきたかという感じですよ。

田家:淡谷のり子さんと笠置シヅ子さんの関係は、先生の中ではどういうものなんですか?

刑部:笠置さんが尊敬している歌手で、淡谷さんとしてもポップスをあの時代にこれだけ歌える歌手という形で一目置いてたと思うんですよね。お互い非常に仲が良かったですよ。

田家:ドラマの中では最初はお互いが警戒してるみたいな感じがありましたけど、今は違いますもんね。服部さんにとってはそれぞれ違う存在なわけでしょう?

刑部:服部さんからすると、淡谷さんはどちらかと言うとブルースとかジャズだという感じですけど、笠置さんの場合は舞台から出てきた方ですから、それまでの他の歌手では歌えないような作品を楽しんで挑戦的に提供していたという感じですよね。

別れのブルース / 淡谷のり子



田家:1937年、昭和12年発売。

刑部:これは翌月から日中戦争が始まるタイミングで発売されたんですね。

田家:先週おかけした「山寺の和尚さん」と同じ年なんですね。

刑部:非常に対照的な曲調ですよね。言ってみれば挑戦的に今までと違った「山寺の和尚さん」、そしてこの「別れのブルース」で服部さんの個性というか独自性が出せたというところですよね。

田家:これはこの曲はドラマ『ブギウギ』の中でも重要な曲として登場していましたね。お互いが歌えない歌だと認め合っている。この「別れのブルース」の作詞が藤浦洸さんで、詞がすごいですもんね。ヤクザに強いマドロスのという(笑)。

刑部:これはもともとは「本牧ブルース」という曲で、神奈川県の本牧に「私娼窟」という政府が公認していない売春宿みたいなところが点在するんです。服部さんと藤浦洸さんがそれぞれ夜の街をどんな雰囲気なんだろうと調査に行きまして。そんな中から生まれてきた歌詞とメロディなんですよね。

田家:詞が先ということではないんですかね。

刑部:これは曲がどうも先に服部さんが作って、それに合わせるような形で詞をお互いに考えて入れたというお話になっていますよね。

田家:そうやって考えると服部さんのブルースのセンスがとてもよく出ている曲ということになるのではないでしょうかね。この歌は発売禁止になったという説があるんですか?

刑部:よくテレビ番組とか歌謡曲本なんかで戦争中に発売禁止になったと書かれているんですけど、実際に調べてみますと、なってないんですよね。太平洋戦争が激化してきまして、ほとんどの曲が製造中止という形でコロムビアの方で自主的にした中の1曲なんですね。

田家:自主的に製造中止したんだ。

刑部:新たに作っていくことが資材の問題とかで難しくなってくる状況で、時局にあったような新曲以外のものをほとんど製造中止にしているんですね、その中の1曲なんです。

田家:さっきおっしゃった本牧ブルースという言葉はコロムビアの吹込み台帳がそうなっていたと先生はお書きになっていましたね。

刑部:そうなんです。全国の人からしたら本牧ってなんだ、どこなんだという話になって全く売れなくなってしまう可能性があるので、「別れのブルース」にすれば神戸だとか大阪だとか、それぞれの港を聴き手が勝手に連想するから、その別れの場面の方がいいんじゃないかという形で変えたところ、それがよかったんですね。当時日中戦争が始まって中国大陸に出征していく場面。ですから実は関西方面、大阪の方から売れ始めていったんですね。

田家:関西の方は出征兵士を見送るときに「別れのブルース」が持っているような悲しみみたいなことをちゃんと理解して、それが一緒になっていったということなんでしょうね。

刑部:そういうことだと思いますね。出征兵士を送る側としては生きて帰ってきてほしいという、悲しみがメロディになっていると思います。

田家:淡谷さんは出身が青森で、今の東京音楽大学でクラシックを勉強されたりもしているんですもんね。

刑部:そうです、そうです。東京音大をたしか首席、一番の成績で卒業しているんですよね。

田家:戦地で最も歌われた歌手は淡谷さんだったと思っていていいんですかね。

刑部:戦地の中で歌われたということで言うと、渡辺はま子さんじゃないかなと思いますね。

Rolling Stone Japan 編集部

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