鈴木慶一が振り返る、ムーンライダーズと共に駆け抜けてきた72年の人生

レジェンドよりも、ひねくれ者でありたい

ーそんな攻めの姿勢を崩さずに、よく半世紀近くもバンドが続けられたと思います。『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』には2011年に無期限活動休止を宣言した経緯も書かれていますが、東日本大震災という大事件に遭遇しながらも、新しい作品を生み出すことに限界がきてしまった?

慶一:毎回、新しいコンセプトでアルバムを作ることに疲れ果てたんだろうね。もうこれ以上、何も出ないぞ、と。ミーティングで無期限活動休止の話をした時に誰も反対しなかった。無理をしながらアルバムを作ることに嫌気がしていたのかもしれない。そこで次のアルバム(『Ciao!』)のコンセプトを「最後のアルバム」にすると決めたことで急にみんな元気が出たんだよ。

ー創作に疲れ果てながらも、元気になるきっかけが創作というのもムーンライダーズらしいですね。『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』のなかで、慶一さんは「はちみつぱいは自分がリーダーじゃなくて、みんなのバンドだ」とおっしゃっていますが、恐らくムーンライダーズもそうですよね。慶一さんにとってバンドというのはどういう集団なのでしょうか。

慶一:これは岡田君(ムーンライダーズの岡田徹)が言っていたことなんだけど、バンドっていうのは互助会なんだよ。小さく固まって、お互いに助け合う。いろんな人が集まって巨大になるとろくなことがない。一度、ムーンライダーズを会社化したことがあったけど、それで多額の借金を抱え込んだりして大変なことになってしまった。今はその都度集まる小さな会社だ。

ー借金の件は本に赤裸々に語られていましたね。小さな会社、あるいは町工場、そんな親しみやすいサイズ感が今のムーンライダーズにはあっているような気がします。

慶一:曲を作っている時に、メンバーがお互いにアイデアを出し合う。そのことで曲のクオリティがワンランク上がるんだよ。そういう瞬間にワクワクさせられる。それがあるからバンドを続けていられるんだ。仲間から良いアイデアをもらえるっていうのは最高の楽しみだね。

ームーンライダーズは22年に11年ぶりの新作『it's the moooonriders』を発表して再始動。今年、No Lie-Senseは活動10周年を記念して新作『Twisted Globe』とベスト盤『Slightly Better Than No Lie-Sense』を発表しました。これまでに慶一さんは、THE BEATNIKS、P.K.O、Controversial Sparkなど様々なユニットやバンドを結成。その一方で、映画や舞台の音楽、CM音楽もやれてきて、とにかく膨大な仕事量です。いろんな仕事をやること、その振り幅が慶一さんにとって大切なのでしょうか。

慶一:そうだね。その振り幅を広くするのか、狭くするのかは、その都度考えている。ムーンライダーズをやっているだけで安定した日々を送れていたら、また違っていたかもしれない。でも、それはそれで早いうちにバンドを解散していたかもしれないな。ヒット曲がないことを逆手にとって、いろんなことをやってきたから。

ーもし、ロック一筋で半世紀やっていたら、日本のロック界のレジェンドになっていたかもしれませんね。

慶一:レジェンドなんて言われるのはごめんだね(笑)。

ーそういう性格だから、メインストリームから逸脱し続け、ひねくれ続けて今に至る(笑)。『It's the moooonriders』に収録された「私は愚民」を聴いて、慶一さんはレジェンドになるより、「丘の上の愚か者(Fool on the Hill)」でいることを選んだんだと思いました。

慶一:そうそう。バカだったからよかったんだよ(笑)。バカな奴がバカなことをやるのをレコード会社が許してくれた。ヒット曲は出さないかもしれないけど、なんか面白いこと、新しいことをやってる奴がいる。そういう奴を、そういうバンドを、ひとつくらいレーベルに置いといた方が良いじゃないか、と思ってくれる人がいたことに感謝しないとね。




『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』
発売中
詳細:https://blueprint.co.jp/lp/suzuki-keiichi-no-kioku/

著者:宗像明将
価格:3,300円(税込価格/本体3,000円)
出版社:株式会社blueprint
判型/頁数:四六判ソフトカバー/336頁
ISBN:978-4-909852-47-2

<目次>
1章:1951年ー1974年
■東京都大田区東糀谷、大家族暮らし
■母親が見抜いた音楽の才能
■「日本語のロック」への目覚め
■あがた森魚、はっぴいえんどとの出会いが変える運命
■バックバンドから独立したバンド、はちみつぱいへ
■混乱したライヴ現場での頭脳警察との遭遇
■風都市の終焉と、はちみつぱい解散

2章:1975年ー1983年
■ムーンライダーズの「最初の日」
■『火の玉ボーイ』鈴木慶一の曖昧なソロの船出
■椎名和夫の脱退、白井良明の加入
■ムーンライダーズとYMO
■鈴木慶一とCM音楽
■『カメラ=万年筆』で幕を閉じる日本クラウン期
■高橋幸宏とのTHE BEATNIKS、ロンドンで受けた刺激
■『マニア・マニエラ』屈指の傑作にして発売中止
■『青空百景』のポップ路線と、広がる若手との接点

3章:1984年ー1990年
■『アマチュア・アカデミー』以降の数百時間に及ぶREC
■ムーンライダーズ10周年〜『DON'T TRUST OVER THIRTY』
■ムーンライダーズ約5年にわたる沈黙へ 消耗する神経
■メトロトロン・レコード設立〜KERAとの初コラボレーション
■鈴木慶一、はちみつぱいとの「決着」
■鈴木慶一と『MOTHER』
■鈴木慶一と映画音楽

4章:1991年ー1999年
■ムーンライダーズを復活へと導いた岡田徹のバンド愛
■40代にして初の公式ソロアルバム『SUZUKI白書』
■鈴木慶一と90年代前半の雑誌/テレビ
■『A.O.R.』と大瀧詠一が残した言葉
■ムーンライダーズ・オフィスを巡る借金問題
■兄弟ユニットTHE SUZUKI〜『MOTHER2 ギーグの逆襲』
■移籍を繰り返してもつきまとう『マニア・マニエラ』の亡霊
■鈴木慶一と岩井俊二、Piggy 6 Oh! Oh!
■ムーンライダーズ20周年 ファンハウス時代の音楽性の多様さ
■鈴木慶一と演劇
■先行リミックス、無料配信……作品発表スタイルの模索

5章:2000年ー2008年
■宅録の進化がムーンライダーズに与えた影響
■『Dire Morons TRIBUNE』以降のバンド内での役割
■鈴木慶一と北野武、映画音楽仕事の充実
■新事務所、moonriders divisionの誕生
■夏秋文尚の合流〜『MOON OVER the ROSEBUD』
■鈴木慶一とcero、曽我部恵一

6章:2009年ー2021年
■高まり続ける映像やサウンドへのこだわり
■ムーンライダーズと「東京」
■鈴木慶一と『アウトレイジ』
■激動の2011年、ムーンライダーズの無期限活動休止
■Controversial Spark、No Lie-Sense始動
■かしぶち哲郎との別れ
■『龍三と七人の子分たち』〜ムジカ・ピッコリーノ
■鈴木慶一45周年 はちみつぱい・ムーンライダーズ再集結
■中国映画、アニメ映画音楽への挑戦
■コロナ禍に迎えた鈴木慶一音楽活動50周年

7章:2022年ー2023年
■新体制での『It's the moooonriders』
■鈴木慶一とPANTA
■鈴木慶一と高橋幸宏
■岡田徹との別れ
■バンドキャリア半世紀近くに取り組んだインプロ作品
■鈴木慶一と大滝詠一
■一つずつ叶えていく「死ぬまでにやりたいことシリーズ」

8章:鈴木慶一について知っている七の事柄

鈴木慶一年表(1951年ー2023年)

参考文献

あとがき

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