TOSHI-LOWとILL-BOSSTINOが語る、レベルミュージックの本質と音楽の可能性

BRAHMAN feat. ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB)



攻撃でも反抗でも破壊でもなくて、結局は愛(TOSHI-LOW)

-むしろ、圧倒的な力や集権的な組織こそが排他を生むっていうことが改めて露わになった時代ですよね。

BOSS:そう。もちろん今を生きている人間である以上、目の前の世界に向き合うことはやめないけど、力を持ったり誰かをコントロールしたりすることを意識してしまうと、それこそ排他や争いが繰り返されるわけだから。

TOSHI-LOW:それにもともと、世間のカテゴライズや型が気持ち悪い、居場所がないっていう感覚から始まってるのが俺らだから。だからこそ以前は、政治や国への直接的な関与を避けて、自分がどうするかっていうことを追求してきたと思うんだけど。

-それで言うと、「ラストダンス」がリリースされた2017年と比べてみても、レベルミュージックという言葉の意味するところが変化してきたと感じるんです。昨今の日本で行われてきたことをザックリ言ってしまえば、人々を無理やりひとつの塊にすることで、個々をなきものとして扱うっていうことだと感じていて。じゃあそれに対するレベルとは何なのかと考えれば、一人ひとりが自分の幸福の尺度を確固たるものにして、それを存分に表明することになってくる。ただ反逆を示すこと以上に、真っ当な自分になることが一番のカウンターになり得るというか。

TOSHI-LOW:確かに。一人ひとりがオリジナルであると示して、真っ当に目の前の幸せを掴む生き方が、結果として一番のカウンターになるよね。実際に俺らはレベルミュージックと呼ばれる音楽を鳴らしてきたわけだけど、じゃあレベルってなんだよって聞かれたら、攻撃でも反抗でも破壊でもなくて、結局は愛なんじゃねえかなって思うんだよ。レベルミュージックって結局、心から愛せる世界になるように闘い続けることじゃん。だからこそ、不当に傷つけてくるものに怒るわけだよね。そう考えたら、まず自分の人生を愛せないと、人のことも世界のことも愛せるわけがなくて。よく言われる寛容さとか多様性っていうのはきっと、自分の人生を愛することから始まるんだよ。それに自己愛っていうのも、ただ自分を甘やかすのとは違って。常に自分を律し続けることで自分を肯定できるっていうのが、本当の自己愛だと思うんだよね。だから自分を愛することは自分の甘えと闘い続けることだし、その先でやっと自分だけの幸せと自由を掴むことができるんだと思う。でもコロナ禍によって、今まで自分の弱さを見なくてもよかった人達までが、自分の弱さや不安や卑怯さと付き合わなくちゃいけなくなったよね。飲みに行けないだけで落ち込んじゃったり、昔はよかったなって振り返るだけで自分を慰めてばかりだったり。でも俺らは、普段から自分の弱い部分を律するために歌い続けてきたから。「なんか気持ち悪いな」っていう違和感を見るからこそ自分本来の姿がわかってくるっていうことを知ってきた道のりのような気もするんだよね。

BOSS:どんな生活も等しく立派なものだと思うよ。何も災いが起きなければ苦しむこともなく生きて死ねたはずだけど、今回、今まで普通だと思っていた基盤が崩れた時に初めて「自分とは何者だ」っていうことと向き合うことになった人がたくさんいると思うのね。だから不安になって、自分を立証するために何かを攻撃してしまう人が多くなったと思うんだけどさ。でも、そんなことやってる場合じゃないよね。9年前に「原発反対」って声高に叫んでいた人々が今は静かになってしまったように、コロナが落ち着いてしばらくしたら、また飼われる生き方に戻ってしまうのか。いい加減に目を覚まして自分の足で歩き始めるのか--その本当の分岐点だしチャンスなんだと思う。

TOSHI-LOW:だからさ、「CLUSTER BLASTER」では「強くなれ」とも歌ってないわけだよね。生き残るのも死ぬのも自分次第だよっていう、ある意味厳しいことを歌っていると思うわけ。もちろん俺の好きな人や知り合った人には死んでほしくないよ。それでも、最後に選ぶのはその人自身なんだよ。自ら崖から落ちる人を引っ張り上げることはできないから。ただ、不条理を超えていくための武器は本当に怒りだけなのか? 怒りを人への優しさや愛に変えていくべきなんじゃないの?っていうことは歌えると思ったんだよ。

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