泉谷しげる、90年代以降から「阿蘇ロック」に至るまでを振り返る

泉谷しげる





田家:1994年のアルバム『メッセージ・ソングス』の中の「東京の翼」。町とか都会ではなく、東京でしたね。

泉谷:1回はやってみたかった(笑)。「東京砂漠」って歌が好きで。

田家:あークール・ファイブ。

泉谷:「東京砂漠」って見事だなと思って。だから、これは演歌ですよ。はっきり言えば。

田家:フォークゲリラは全国回ったんでしょ?

泉谷:そうですね。相当な田舎まで行きました。だけど、20代の時に行ったツアーよりも、救済で行った田舎の良さを知ることになって、初めて旅した気になったなあ。

田家:エレックで200本行っても?

泉谷:そう、あれは何の記憶も残ってないんだけど、次から次へとやってた、歌う機械だったような気がするし、早く東京に帰りたかった。だけど、この頃から地方ってこんなにおいしいもの食ってるの? って思って、ショックでしたね。

田家:東京の食生活はなんだと(笑)。

泉谷:なんだこれと思って、俺たち東京に騙されてるじゃんって。ただ、もう1個考えると、おいしいと思うようになったのは歳のせいもあるけど、これを全ておいしいって感じるってことはもうすぐ死ぬなって思ったこともあるけどね(笑)。

田家:それは覚悟というよりも、悟りかもしれない(笑)。

泉谷:やばい、俺! どれもおいしいっていうのはまずいこれって(笑)。

田家:そういう中で自分でレーベルを始めたり、ドラマにもたくさん出たり、『Dr.コトー診療所』、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』とか、メジャーな作品にも出て。2008年に還暦記念で60曲のコンサートもやって、60代に入るわけですね。

泉谷:そうですね。これもわざと意識して、60代を売りものにして。歳のことをあえて話題にしました。50代にいろいろな疲れからなのか腕が上がらなくなったり、変な痛みが。ある種の更年期障害だよな。

田家:そうでしょうね。五十肩みたいなのがね。

泉谷:ずしっとくるし、キレが悪くなるし、肩が上がらなくてしょうがないから鍼治療したり、やっぱり来るんだと思って。俺にとっての50代は恐怖の50代でしたね。

田家:老いと戦った。で、60歳で60曲やっちゃえと。

泉谷:それでいろいろやって、60歳になってタバコも辞めて、つまり健康に気をつけることにして、もう1回軽くしようと体重も絞ったり、いろいろやって。みんながやっているようなことをあえてやって、ちゃんとした音楽をやるかのような(笑)。逆らわないでちゃんと自分を恐れて、60に入ったら今度は風邪を引かなくなっちゃって、健康になりましたね。タバコ辞めたとか、酒の付き合いをしなくなったのも大きいですけどね。

田家:60代のアルバムからお聴きいただきます。2009年12月に出た23枚目のアルバム『愛と憎しみのバラッド』から「生まれ落ちた者へ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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