BREIMENの高木祥太が語る、私小説的な歌の世界と音楽ルーツ

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まるで太宰治のような、私小説的な歌詞の世界。それはある意味、自分の人生や魂を切り売りするようなもので、精神的にもつらいことが多いのではないだろうか。単刀直入にそう尋ねると、苦笑しながらもざっくばらんに話してくれた。

「『TITY』では女の子について歌い過ぎてしまって、もうエピソードのストックは残っていないし……このままだと自分の人生を狂わせながら曲を作っていくしかないのかなあって(笑)。どうしよう?と悩んでいた矢先にコロナになって。そのことはもう避けて通れなくなっていますよね。今作の歌詞は、コロナになっていなかったらきっと全然違うものになったと思います。いずれにしてもハードモードな生き方ですよね。以前、槇原敬之さんが『雨の水滴が、ガラス窓についているのを見ているうちに1曲できた』とおっしゃっているのをどこかで聞いて。自分も早くその境地にいきたいと思いました(笑)」


Photo = Mitsuru Nishimura

コロナ禍で外出が難しくなり、外からのインスピレーションを得られなくなる日々が続いたことで、自分自身の内面と向き合う時間も増えたという。「音楽家と資本主義社会って本当に相性が悪いというか、この世界で生きていくのはなかなか大変ですよ」と高木は打ち明ける。

「そのことは以前からずっと考えていたのですが、コロナになってより強く思いますね。例えば、『なるべくコストを抑えて売れるものを作る』ということが、資本主義社会では『よし』とされているじゃないですか。でも音楽や芸術って、本来コストを気にしながら作るものではないと思うんです。出来ることならいくらだってお金はかけたい。ただし、そうしたことで聴く人が増えるか?といえば必ずしもそうとは限らなくて」

そんなジレンマを抱えつつも、「僕はそれでもいいと思っているんです」と高木。「のたれ死ぬのを覚悟でやっているというか。それは、自分が音楽を選んだ時点でミュージシャンの両親からも言われていたことなんですよね。『音楽家は食えないから大変だよ?』って。“市民権”なんて得られなくて当然というか。モーツァルトですら食えていなかったわけだし。ただ、そこにカッコよさというか、ロマンを感じる自分もどこかにいたりもしますしね」

そう言って、笑いながらタバコに火をつける。

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