中嶋ユキノが語る、浜田省吾との出会いと波乱万丈の下積み時代

中嶋ユキノ



-今回のシングル『ギターケースの中の僕』に至るまでシンガー・ソングライターとしてはもちろん、作家やコーラスなど様々な形で活動されてきたユキノさんですが、音楽の道を目指したきっかけは何だったんでしょう?

もう長いこと音楽の世界にいるのですが、この世界を目指した最初のきっかけは松田聖子さんだったんです。テレビに映る聖子さんを観て「この人みたいになりたい、私もドレスを着てテレビで歌いたい!」と思ったんですよね。なので、小学校1年生の文集には「私は歌手になって、テレビに出て歌いたい」みたいなことを書いていました。

-いわゆるスターに憧れていたんですね。

それから私は、安室奈美恵さんを筆頭とした小室ファミリーの方たちやSPEEDさんやDREMAS COME TRUEさんなど90年代のJ-POPをひたすら聴いて育って。そうした方々の新譜を毎週のように全部レンタルして憶えて歌いながら「私は二十歳になるまでにメジャーデビューする」みたいなことをずっと思っていたんです。あと、自分の気持ちを誰かに面と向かって言えない性格だったこともあって、中高生の頃にそうした気持ちをひたすらノートに書いていて。そんな中で宇多田ヒカルさんが1stアルバム『First Love』をリリースしたときに「この人は一体?!」と衝撃を受けて、それまではずっとレンタルだったんですけど、初めてCDというモノを自分のお金で買ったんです。そこで「この人は作詞作曲もしている!」と気付いて、私もノートに書き溜めていた自分の気持ちに曲を付け始めたんです。

-それがソングライティングの始まりだったと。

ただ、私は楽器一切やったことがない人間だったので、アカペラでメロディを付けていたんですよ。姉が寝ている隣でふとん被りながら(笑)。それがシンガー・ソングライターとしてのルーツですね。あと、小学生の頃から姉や友達の歌に対してハモるという得意技があって。なので、その得意技を使って自分の作品を残そうと思って、録音機能のあるMDプレイヤーにまずリードボーカルを入れて、そのMDを流しながらさらにハモりも録音して、それを繰り返していく多重録音を自分なりにやってみたんです。

-山下達郎さんみたいなことを手作りでやっていたんですね(笑)。

手作り多重録音(笑)。それでデモが出来上がったからソニーのオーディションに持ち込んだんですけど、自分の音源を持ち込んでいいタイプのオーディションじゃなかったから聴いてもらえなかったんですよ。それで泣きながら市ヶ谷の坂を下って帰った思い出があります(笑)。あ、オーディションと言えば『ASAYAN』のモーニング娘。さんの次ぐらいの企画にも応募しました。

-Say a Little Prayerのオーディションですかね?

恐らくそうです! 1000人ぐらいの応募者が集まっている会場に行って、15秒歌って「はい、結構です」みたいなオーディションだったんですけど、結局受からず。ただ、私は高校の演劇科に通いながら、曲を作ったりしていて。そのあと、音大のポピュラー科に入ったときに、今回の『ギターケースの中の僕』のサウンドプロデュースもしてくれている宗本康兵くんと同級生として出逢うんですよね。で、その彼がI WiSHで大ブレイク中だった川嶋あいさんの事務所でアルバイトをしていたこともあって、「川嶋あいさんが渋谷公会堂でライブするんだけど、コーラスやらない?」と私に声を掛けてくれて。そこから私のキャリアがスタートしたんです。

Rolling Stone Japan 編集部

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