坂本龍一が語る、『BEAUTY』で描いたアウターナショナルという夢のあとさき

坂本龍一、1990年撮影(Photo by Ian Dickson/Redferns))


グローバルに対する希望と幻滅

─『BEAUTY』がリリースされた1989年は、ベルリンの壁が崩壊する年で、それまでの冷戦時代が終焉を迎え、新しい時代が始まる予感に満ちた時代でもあったと思うんです。そうしたなかで、坂本さんは『BEAUTY』という作品を説明するにあたって「インターナショナル」ということばへのカウンターとして「アウターナショナル」という言葉を使われていました。この言葉は、アルバムの説明として的を射ているだけでなく、いまの時代において、改めて考えてみてもいいコンセプトのように思えました。

坂本:「インターナショナル」というのは「ナショナル」の内側にいる人たちが、結びつくというコンセプトじゃないですか。

─はい。

坂本:それじゃだめなんだというのが「アウターナショナル」の考え方なんです。「ナショナル」の外に出ないとダメなんだ、と。

─『BEAUTY』がリリースされた当時のことを思い出すと、やっぱりワールドミュージックというものにものすごく期待が寄せられていた記憶があります。それは単にエスニックなものがいいということではなく、世界中の多様な音楽が混淆しながら、多様な地域や人びとに手渡されていくような遊動性への憧れだったと思うのですが、例えば本作にも参加しているアート・リンゼイのような人たちが体現していた、新しいかたちのコスモポリタニズムに自分も非常に強く感化されたんです。そうした「新しい世界人」のひとりとして、坂本さんが世界とつながっていったのを一リスナーとしてわくわくしながら見ていたのですが、坂本さんにもそうしたわくわく感はあったのでしょうか。

坂本:70年代の終わりから80年代の頭にロンドンのような都市で、いまおっしゃったような新しいエスニックな感覚を体現した人たちが、主に音楽やファッションの分野で出てきて、それがすごく新しいと思ったんです。音楽でいうと、アフリカ音楽の影響も大きかったと思うのですが、そんなにアフリカ的なものを前面に打ち出していないフライング・リザーズなんかを聴いても、新しいエスニックな感覚を求めているような感じがあって、ものすごく刺激的でした。当時すでに「ロックは完全に終わったな」という感想を持っていましたし、そのことに、とてもドキドキしていたんです。映画でいう『ブレードランナー』が描いた近未来ですね。ロサンゼルスの街中に多様なエスニシティをもった人間たちがうごめいていて、言葉もクレオール化しちゃってるみたいな、そういう世界観にドキドキ、ワクワクする感覚は、実際は80年代初頭から始まっていたように思います。

ですから、整理して言ってしまえば、80年代を通じてそのワクワクを追求していった集大成として『NEO GEO』『BEAUTY』があったとは言えるかと思います。『ブレードランナー』のロサンゼルスという都市の中で、アジア系のおじいちゃんがDNAをイジってるみたいな、そういう世界を自分としては執拗に求めていたんです。



─その思いがあったからこそ、『BEAUTY』の制作を機にニューヨークに拠点を移されるわけですよね。

坂本:そうなんです。ところが、いざニューヨークに行ってみると、ニューヨークというのは、自分が夢に見たような発展の仕方もあり得たところだとは思いますが、意外とそういう場所じゃなかった。徹底した白人社会でしたし、これがあと10年で21世紀を迎える世界一の帝国の一番大きな都市かよっていうぐらいの、みすぼらしさで、引いてしまうくらいの汚さでした。

─それはもう物理的に汚いってことですね。

坂本:汚いし、道は穴だらけで車を運転するのは大変だし、地下鉄の構内は巨大なネズミが走ってるし。今でもそんなに変わらないですけど、全然憧れていたニューヨークとは違っていたんです。『BEAUTY』にまでたどり着いたグローバルという夢が、むしろニューヨークに行ったことで、すーっとろうそくの火が細くなるみたいにしぼんでいったという感じだったんです。

─そうなんですね。なんとも残念な。

坂本:「ヴァージン・アメリカ」への期待があったというお話を最初にしましたけれども、ヴァージン・アメリカはまだできたばかりで、それこそ当時の社長、Jeff AyeroffとJordan Harrisの2名は「インターナショナルにやっていく」みたいなことを言って盛り上がっていた。それで契約をしたんですが、いま思い返すと、そうは言いながらも彼ら自身非常にアメリカン・ドメスティックな音楽をやっていて、何よりポーラ・アブドゥルが一番売れていた時代で、僕もポーラ・アブドゥルのプロデューサーをあてがわれたりとか、いろいろと大変だったんです。

─シングル曲として切られた「You Do Me」(『BEAUTY』海外盤のみ収録)が、それですよね。

坂本:そうです。あれは嫌で嫌でしょうがなかった(苦笑)。

─私はプリンス・ファンでしたので「You Do Me」にプリンス・ファミリーのジル・ジョーンズがボーカルで参加していたことを割と喜んだのですが、あれはどういった経緯だったんですか?

坂本:それはレコード会社の人選ですね。ジル・ジョーンズが、僕のファンだったそうです。

─そうなんですね。

坂本:僕としてはヴァージンというネットワークを使うことで、世界の津々浦々まで、作品がちゃんとディストリビュートされていくことを期待していたのですが、やっぱりそんなことはなくて、実際はものすごくドメスティックで島国的なビジネスでした。当時はまだインターネットがなかったので、ラジオでたくさんかからないとヒットしないと、英語もできないのにプロモーションのためにラジオに出演させられたりしました。アメリカのレーベルと契約すれば、バーッと自動的にインターナショナルに、グローバルに展開されるのかと思ったら、全然そんなことはなくて、正直かなりがっかりしました。





『BEAUTY』と同時期にリリースされた作品(若林恵による再発盤ライナーノーツより)。アート・リンゼイとピーター・シェラーによるアンビシャス・ラヴァーズ『Greed』(1988年)、ピーター・シェラーがプロデュースを手がけたカエターノ・ヴェローゾ『Estrangeiro』(1989年)、デイヴィッド・バーンがワールドミュージックへと全面没入を図った『Rei Momo』(1989年)、バーンの主宰レーベル「Luaka Bop」による第1弾コンピレーション『Brazil Classics 1: Beleza Tropical』(1989年)。


─『BEAUTY』のリリース当時に自分がよく聴いていたものを振り返ってみたら、例えばデイヴィッド・バーンが「LUAKA BOP」というレーベルを立ち上げたのが同年で、最初にリリースした『Beleza Tropical』というブラジル音楽のコンピレーションの解説や対訳をアート・リンゼイがやられていて、その流れで自分はカエターノ・ヴェローゾや、後に坂本さんも参加されるマリーザ・モンチの作品などに触れていくことになりましたし、ニッティング・ファクトリーを中心とした、いわゆる「ダウンタウンシーン」の盛り上がりもあって、遠い日本から見ている分には、極めて刺激的には見えたのですが。

坂本:実際はニューヨークも島国的な部分は非常に強いのですが、とはいえ、その中にもタコツボ的にいいポイントはあるんです。例えば、毎日アフリカ音楽のライブばかりをやっているお店とかあるわけです。あるいはアート・リンゼイやカエターノが出るかと思えば、ローリー・アンダーソンが出てきたりといったような、小さいながらも面白いスポットは、当時もポコポコとはあったんです。

でも、移住してすぐにマンハッタンから一歩出て、車で30分ぐらい行くとベトナム戦争以前のアメリカみたいな感じの家並みが続いていて、まるでベトナム戦争を通過していないような社会が残っていて、ものすごくショックでした。例えば、ニューヨークで出会ったパンキッシュでクールなイケてる女性でも、友達の結婚式があるというとキャンディーカラーの安っぽいドレスを着て行ったりするようなところがあって、そっちこそが本当のアメリカなんですよね。ニューヨークに出てきてクールな顔をしているのは、やっぱりどこか他所行きのスタイルなんです。

─『NEO GEO』『BEAUTY』で見たグローバルな夢が、逆に移住したことで壊された、と。

坂本:アウターナショナルどころか、インターナショナルでさえもないじゃないか、という感じでしたね。

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