西岡恭蔵「病と闘いながら生み出した名曲の軌跡をたどる」

西岡恭蔵(photo by 北畠健三)

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年1月の特集は「西岡恭蔵」。2021年11月、小学館から書籍『プカプカ 西岡恭蔵伝』という長編伝記が発売された。その著者、ノンフィクション作家・中部博を迎え、今年ソロデビュー50周年を迎える西岡恭蔵の軌跡をたどる。パート4のテーマは「病魔」、病と闘いながら仲間たちと制作した名曲をたどっていく。

田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは西岡恭蔵さんの「プカプカ」。1972年7月に発売になったソロの1枚目のアルバム『ディランにて』の中の曲なのですが、お聴きいただいているのは1991年に出たライブアルバム『ハーフムーンにラブコラージュ』の中のものです。西岡恭蔵さんのバンドHalf Moonと大塚まさじさんのバンドであるラブコラージュが一緒に行ったライブの模様です。今週と来週はこの曲を前テーマにお送りします。バージョンは違います。

関連記事:西岡恭蔵とKURO、世界旅行をしながら生み出した楽曲をたどる

プカプカ / 西岡恭蔵とHalf Moon

2022年1月の特集は西岡恭蔵。1969年4人組のバンド、ザ・ディランの一員として音楽活動を開始して関西フォークを代表するシンガー・ソングライターになりました。亡くなったのは1999年、50歳の若さでした。去年の11月小学館から『プカプカ 西岡恭蔵伝』という本が発売になりました。彼の生い立ちや思春期、関西フォークからシティ・ポップ。愛妻・KUROさんとの暮らし、海外を旅しながらの創作活動。そして、病魔との闘い。恭蔵さんの生涯を丁寧に追ったノンフィクションです。今月はその著者、ノンフィクション作家・中部博さんをお迎えして曲を選んでいただきながら恭蔵さんの軌跡をたどり直してみようという5週間です。今週はパート4、題して「病魔」。こんばんは。よろしくおねがいします。

中部博:こんばんは。

田家:先週はアルバム『南米旅行』、『Yoh-Sollo』、『NEW YORK TO JAMAICA』。このアルバムを中心に海外旅行をしていた頃の話を伺いました。先週も触れましたが、1971年から81年の10年間、いろいろなアーティストがいろいろな新しい活動をしてきましたけど、こんなに行動的だったカップルはいなかったんじゃないかとあらためて思っています。

中部:やっぱり控えめな人たちなので、自分で俺が私がって言わないからあまり目立ってはいないけど、たしかにおっしゃる通り、ものすごい活動量ですよね。海外旅行に行ってアルバムを作るとか、ライブも作るとか、非常にすごい活動をしたと思います。

田家:しかも夫婦ですもんね。今日はその中の中部さんの本の第10章を中心に話を進めていきたいと思うのですが、第10章のタイトルが「病魔」。

中部:西岡さんが1981年ぐらい、30歳過ぎた頃からですね。正確な記録がなかったので病名は分からないんです。病気のことは非常に慎重に語らなければいけないので、症状を言うと、例えば朝、寝床から起き上がれないくらいの倦怠感が1、2週間続く。鬱と言われているような状態とか、朝起きた途端にギターを2~3時間弾きまくるようなこととか、世の中、宇宙の構造が分かったと書いたりするような、言わば躁な状態が続くんですね。これはやっぱり精神的に(肉体的にも)苦しい病気ですから、活動ができなくなっていく時期が10年くらい続いてしまうんですよ。この間、音楽がなければ西岡さんの生き生きした状態はありえないということは西岡さんもKUROさんも分かっているので、何度かチャレンジをしていく。そのときにバンドを作るんですね。仲間を頼る、という。

田家:今お聴きいただいた「プカプカ」は、そういう状態の1983年12月の六本木ピットインでのライブなんですけど、このライブについても後ほど話を伺っていこうと思います。今日の中部さんが選んだ1曲目、CDになったのは2012年に発売になったベストアルバム『ゴールデン ベスト』なのですが、この曲が書かれたのは1980年でした。「バナナ・スピリット」。

Rolling Stone Japan 編集部

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