西岡恭蔵「病と闘いながら生み出した名曲の軌跡をたどる」

バナナ・スピリット / 西岡恭蔵

田家:これは1980年に書かれた曲。

中部:はい。ただ、これはNHKの「みんなのうた」で放送された歌なんですよ。NHKの「みんなのうた」って言うと、田家さんの方が位置付けは詳しいと思うんですけど、国民的な音楽番組って言っていいんですよね?

田家:はい、アルバムも出てますからね、「みんなのうた」の。名曲が結構ありますよ。

中部:毎日、毎日短い枠で流れていくわけで、恭蔵さんとKUROさんの音楽活動がそこまで来てたということなんですよね。音楽の世界とか放送の世界、テレビの世界で実力が認められる存在になっていたんですね。

田家:これが1980年なわけですけども、先週もお話をした3度目の長期旅行を7月から8月にかけて行って、1981年3月に『NEW YORK TO JAMAICA 』というアルバムを発売して。さっき中部さんがおっしゃった体調不良はこのときには自覚して、訴えられていたんですかね。

中部:いろいろな記録を読むと、1981年ぐらいからそのことを書かれていて。家庭内新聞を恭蔵さんが作るんですよ、息子さんお2人に向かって。それは不定期なんですけれど、手書きの新聞を月に何回か書いて、息子たちの成長の記録とか、お小遣いの事情、学校の行事のことがずっと書いてある。その中にご自分のことも、ところどころ書いていて。調子がいいとか悪いとか、作詞作曲ができなくなっちゃったということを書いているんですけど、1981年ぐらいからそういう記述が見えてくる。

田家:家庭新聞はどうやってお借りしたんですか?

中部:実家に残っていたんです。奇跡的に残っていたいくつかの資料のうちの1つだったので、それをお借りできたということだったんですね。

田家:家庭新聞の1回目は1982年2月28日の創刊号で、「旅行シリーズにピリオドを打ち、新しいテーマを求めている」と書いてあったと本の中にありましたね。

中部:これは要するに、海外を旅行して1枚のアルバムを作るっていうことを3回繰り返したので、これはひとついいだろうということで。次の新しいテーマはバンドなんですよね。

田家:体調の問題ということよりも音楽を作る方法論としての旅行シリーズは一度打ち止めにして、という意味でそれを書いていたんですか?

中部:だと思いますね。満足いったか分からないですけど、とにかく3回きっちりやったという感じですね。恭蔵さんはかなり真面目な人で、きちっと自分はやった。じゃあ、次の段階へ行こうというところはあったと思うんですよ。しかし、体調不良が起きて、にっちもさっちもいかなくなりつつあるんですよ、この時期は。

田家:そういう中で恭蔵さんが組んだバンドの曲をもう1曲お聴きいただこうと思います。今日の2曲目、西岡恭蔵とHalf Moon「プエルトリコ宅急便」。アルバムは先程の「プカプカ」が入っていた「ハーフムーンにラブコラージュ』です。

Rolling Stone Japan 編集部

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