横浜の"ロック"ステーションTVKが音楽シーンに残した功績、兼田達矢と語る



田家:JUDY AND MARYの1994年のデビューアルバム『J・A・M』の中に入っております。ジュディマリが「ライブトマト」に出た日にちを見ていたら1992年12月17日。これはデビュー前じゃないかなと思いました。

兼田:それこそ、彼女たちはエピック・ソニーでしたけれども、事務所がソニー・ミュージックアーティスツというところで、いずれもTVKと長くて深い縁のある人たちだったので。しかもジュディマリについては当時平山雄一さんとか、ソニー・マガジンズと組んでライブ「GiRLPOP」というイベントを新宿パワーステーションでやっていた。

田家:やってましたね。

兼田:それのブッキングをやっているときに「こういう女の子のボーカルのバンドがいるんだけど、ぜひ観てくれ」って言われて、恵比寿のライブハウスに観に行って、1にも2にもこれは絶対出てもらわないとダメだと思ったバンドだったので。そのときもこの曲をやってました。

田家:あらためて本の話を伺うんですけども、何度か話になっている住友利行さん。1948年生まれで山口県の人で広島大学卒業生。開局したばかりのTVKに就職して、でも東京の人じゃないとダメだというので、住民票を東京に移して入った。これもこの本で知りました。どんな方だと思われました?

兼田:僕が手伝わせていただく頃には音楽業界では知る人ぞ知る大プロデューサーという存在でしたけど、お話をすると穏やかというか、全然怖いところのない人で。こんな人がいろいろなことを取り仕切ってプロデューサーみたいな立場でやれるんだというぐらい穏やかな人でした。これもまたそもそもの話になっちゃうんですけど、本って別の方というか、クレジットには企画ということで入ってますけども井黒成郎さんという方がいらっしゃって、それは住友さんのTVKの後輩なんですね。その方が住友さんの業績を本に残したいとずっと考えてらして。でも、住友さんが「そんなのいいよ」っておっしゃっていたのをあるときに何度か僕も仕事でご一緒してたから、「じゃあ、かねやんにインタビューしてもらったらやりますか」って言ったらしいんですよ。「かねやんだったらいいかもな」って言われてっていうのが始まりだったので、そこからあらためてゆっくり住友さんの話を聞くようになって始まっていった本の作り始めだったんです。

田家:TVKがロックステーションになれた、これだけシーンの中で影響力があったという、彼だからできた感じがありますかね。

兼田:ありますし、やっぱりTVKというある種最初から逆境という。キー局があって、同じことをやっていたら食っていけないというところに入ったということ。住友さんが本来お持ちだったキャラクターとしての反骨心だったり、人とは違うことをやるんだということが上手くハマったところがあるんじゃないですかね。

田家:今日の最後の曲はこの人たちなんですね。Mr.Childrenの「星になれたら」。

Rolling Stone Japan 編集部

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