大江千里が振り返る、昭和から平成へ移り変わる時期の楽曲への想い

これから / 大江千里

田家:88年のシングル「これから」。いい曲ですね。

大江:ありがとうございます。僕も好きすぎて、思いのほかロックオペラみたいになっちゃって。これ西本明さんが編曲でタイミングが合えば彼とアルバムを作りたかったんだけど、このあと僕は『red monkey yellow fish』で清水信之さんとはっちゃけた方向に行くので。

田家:90年9月のアルバム『APOLLO』に入った。

大江:淡々とバラードを作ったんですけど、最初「夕暮れのニュータウン」っていう歌詞は「夕暮れの新宿」だったんですね。だけど、それをニュータウンって言葉に変えたら、故郷の町にぐっと入っていって。それぞれ日本にいっぱいある町で聞いてくれるといいのかなと思ったときに、僕が通っていた大阪の富田林高校の南大阪線、近鉄の単線のところにりんどうが咲いていたなと思って。

田家:「りんどうが看板にゆれる」という歌詞ですね。

大江:思い出して、じわじわあっちに飛んだりこっちに飛んだり、日本の原風景を手繰り寄せながら、東京やその街で夢を簡単になくしそうになっている自分を踏ん張れ踏ん張れって言いながら、ゆっくり流される孤独感を書いてますよね。

田家:「暗号が解けないスパイのように」っていうこれはどんなイメージだったんですか。

大江:もう自分は何者でもない点のような存在だと思って。これを音楽で形に残さないと自分は藻屑のように消えていってしまうっていう、そういう匿名性というか、へのへのもへじ感をスパイのようだって。それは『1234』の「サヴォタージュ」なんかにも繋がる世界観ですけどね。スパイだったり地下活動だったり。一歩間違えるとっていう存在にも思えてくる。そんな妄想を行ったり来たりしながら書けるところまで書いて。シアトリカルな舞台なんですよ。詞で書いたところは音にはしないし、音でやるところは詞にはしないっていうような。

田家:なるほどね。もうここには80年代のキャンパスヒーローはいませんもんね。

大江:あはははは。僕は2回大学を出ましたけど、ジャズのニュースクールを出たあと、周りは卒業のとき23歳とかじゃないですか。僕だけ52、3歳で。みんなで飲みに行ったりすると、「俺たちあっという間に30になるよな」「いやあ、どうするよ」って会話になって。「本当だよな」って相槌を打っているけど、俺だけプラス30かみたいな(笑)。その感覚でしたよね。あまりに早くいろんなものが変わりすぎていって、社会の中で自分がその一員としてやれなくて、アップアップでやれているふりをしていた。心だけが置き去りにされていて、それを何とか自分で取り戻すために歌を書いてたっていう。

田家:「これから」が昭和最後のシングルでありまして、次にお聞きいただくのは平成最初のシングルです。89年7月発売、「おねがい天国」。

Rolling Stone Japan 編集部

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