大江千里が振り返る、昭和から平成へ移り変わる時期の楽曲への想い



田家:1990年9月発売9枚目のアルバム『APOLLO』のタイトルソングですね。アルバムは全曲ニューヨークで作って。

大江:そうです。ニューヨークに行って、もう大ショック。なんてエネルギーのある街なんだと思って。この街で物を作りたいと思って『APOLLO』を向こうでやったんですけど、本当にコテンパンにやられたら1ヶ月半とか2ヶ月間でしたね。

田家:コテンパンにやられた?

大江:まず言葉ですよね。通訳を通すと、細かいニュアンスがナチュラルじゃなくなって、全部ニュアンスが違ってきて。僕は割と自分でグルーヴを作っていくタイプなので、1個止まっちゃうとゼロに全部戻ってリセットされてしまう。それを仕上げていくってことが難しくて。そのときにもうNYが大好きで、この街で戦いたい、生きていくって思ったけど、やっぱりここでやるには捨てるものが大きすぎるなと思って。キラキラしたものをどうやって作ろうかって。「dear」の「渋滞のスクランブル」ってあれ渋谷ですよ。

田家:そうなんだ(笑)。

大江:だけど、ワインマンがワインをガチャンと割ってぶっかけてくるような状況の景色を見ながら渋谷の景色を書くってことを初めてやって。だから洗礼を受けましたよね。本当にネズミがゴミを食べてるのを見ながら、キラキラした夕日に沈んでいく情熱を書くみたいな。毎日自分が狂いそうになりながら詞を書いて、できたら歌ってっていう。なかなかこれもシュールな世界でしたよね。

田家:「APOLLO」の中の、1960’s、1970’s、1980’s、1990’sって年号は、使おうっていう意識でお書きになったんですか。

大江:なんとなく世紀末に向かっていく感じは自分の中で始まってて。「APOLLO」でなんとなくこのアルバムが結果を出すだろう、残っていくだろうと思うと同時に、それは終わりの始まりって言うか、そういう覚悟を決めながら作っていた。今まで自分が音楽を聞いてキラキラした気持ちを原動力にプロになって、現実にバーン突き当たって、それを乗り越えてきた60’s、70’s、80’s、90’s、この先もしかしたらあるのかなっていう、その問いかけですよね。

田家:30代にもなるし。

大江:「APOLLO」で“月に降りた夢の景色は僕にはこの先見えることがあるのか?”って。このときはもう無我夢中でこのフレーズを歌って書いてましたね。

Rolling Stone Japan 編集部

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