スプーン×エイドリアン・シャーウッド対談 ダブ・ミックスの深い歴史を語り合う

 
ザ・クラッシュ「One More Dub (feat. Mikey Dread)」(1980年)



エイドリアン:ザ・クラッシュの連中は、ラドブルック・グローブで結成された頃から知っていた。1979年の終わりには私たちのバンド、クリエイション・レベルと一緒にツアーも回った。それから当時、私が一緒に仕事をしていたマイキー・ドレッドもそこにいた。クラッシュはレゲエ・バンドではなかったが、明らかにレゲエの影響を受けたバンドだった。彼らは「One More Dub」を通じて、当時のイギリスで彼らを取り巻く状況を表現した。彼ら自身がのめり込んだレゲエに、多くの人々の注目を集めてくれたクラッシュに感謝だ。

ブリット:彼らが必ず、原曲である「One More Time」の後に「One More Dub」を演奏するところが良かった。敢えて狙った訳ではないと思うが、彼らの主張がよく伝わってきた。とにかく、並べて違いを比較できるのが良かった。僕らが『Ga Ga Ga Ga Ga』(2007年)の楽曲「Finer Feelings」にマイキー・ドレッドの作品からサンプリングするにあたって、彼と何度か話したことがある。彼が亡くなる1年か2年前のことだったと思う。彼は法律関係の話が好きではなかった。だから、彼のサンプルを使用するための法的交渉がちょっと難しかった。本人は問題ないと思っていたし、僕のことも気に入ってくれていたと思う。でもとにかく彼は、弁護士という人種を嫌っていた。だから話が一向に進まなかった。



エイドリアン:覚えておくべきは、ダブの歴史は基本的に、いわゆる「バージョン」で成り立っているということ。ジャマイカ音楽でクールな「リディム」があると、100人が同じリディムを使う。ひとつのリディムから、いくつものバージョンが派生するのさ。今回のスプーンに関して言えば、単なるダブを超えた完全な再発明だと言える。いろいろなものを剥ぎ取って、リバーブを追加するなどして、単純にダブ化することはできたかもしれない。だけど「バージョン」という概念に、常に大きな魅力を感じる。なぜレゲエ以外には、さまざまなバージョンが出て来ないのだろうか?

ークラッシュのアルバム『Sandinista!』の頃には既に、レゲエ、ロック、ファンク、ダブの融合が始まっていました。それでも「One More Dub」は、今に通じる特別な存在だと思いますか?

エイドリアン:分析は、何年か経ってからすればいい。しかし当時のムーブメントに関わっていた人のほとんどは、自分たちが刺激を受けて魅力を感じたものに、純粋にのめり込んでいただけだと思う。当時のクラッシュが「自分たちは歴史の一部を作っている」などと意識していたとは思えない。それからザ・ラッツ。彼らはとても勢いがあった。彼らは、黒人バンドのレーベルだったMisty in Rootsに所属した白人のバンドだった。彼らの音楽はヘヴィで、ギター・ダブが素晴らしかった。彼らの作品からもっとサンプリングすれば良かったと思う。




ミディアム・ミディアム「Hungry, So Angry」(1981年:エイドリアンがプロデュース)



エイドリアン:私がやったことと言えばマイキングとイコライゼーションぐらいで、機材をスタジオへ持ち込んでレコーディングしただけだ。曲の構成やアレンジに手を加える余地はなかった。ただ、サウンドにはこだわった。特にB面の「Further Than Funkdream」は典型的なダブと言える。

ブリット:彼らの作品を手掛けたきっかけは? 知り合いだった?

エイドリアン:当時は、ジャマイカ人やイギリスの黒人アーティストとの仕事が多く、たまに白人ともやっていた。雑多なイギリスという感じだった。そんなときに彼らが私の手掛けた作品を聴いて、「エイドリアンにプロデュースを頼もう」ということになったのさ。お互い気が合ったので、スタジオに入ることにした。

彼らとはベリー・ストリートというスタジオで、いくつかのギグも行った。同じスタジオでデレク・バーケットが、ザ・シュガーキューブスのデビューアルバムをプロデュースしていたので、彼のエンジニアリング作業も手伝った。ただマイクをセッティングして準備を整えてやっただけだから、エンジニアとは言えないな(笑)。新しい機材には慣れなくてね。でも当時はマイキングやオフマイキングを駆使してレコーディングし、トンネルや廊下で再生してみたり試行錯誤しながら、良いサウンドを追求していた。すると徐々に仕事が集まるようになったのさ。

ー「Hungry, So Angry」は典型的なポストパンクやロックの楽曲ですが、それから10年後に、ナイン・インチ・ネイルズのようなバンドを手掛けるきっかけになったと思いますか?

エイドリアン:きっかけという意味では、ダニエル・ミラーとデペッシュ・モードとの仕事の方が大きかった。私とダニエルは、彼が実家で母親と暮らしていた頃からの知り合いだった。だから彼の紹介で、私にデペッシュ・モードの仕事が何作か回ってきた。それがきっかけになった。デペッシュ・モードの仕事は皆が満足のいく出来だった。上手く行けば文句はないと思うのだが、私にはいつも風変わりなバージョンが期待されていた。むしろ、ちゃんとしたバージョンは任せてもらえなかった(笑)。

ーまともなバージョンを作りたいと思っていましたか?

エイドリアン:自分の作品が奇妙だとは思ってないさ。いつも最高だと思っている! そう思ってずっとやってきた。自分の人生にはとても満足している。文句はない。


Translated by Smokva Tokyo

 
 
 
 

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