ベルウッド・レコード・三浦光紀が語る、西岡恭蔵との出会いからはっぴいえんど解散まで



田家:三浦さんが選ばれてる40曲を今月はご紹介していて、はっぴいえんど関係が多いのは当然ということになると思うんですが、この曲を選ばれた理由は?

三浦:これは茂さんの曲で、ビル・ペインとかローウェル・ジョージが参加するんですよね。今手帳を見ながら思い出したんだけど、10月19日にミックスダウンをやる時にリトル・フィートのローウェル・ジョージとビル・ペインが一緒に来てくれた。その後、彼らがレコーディングしてるスタジオに連れて行かれて、リトル・フィートのレコーディングを見たんですよね。これも着いてすぐ行った説とか、いろいろあるんですけど手帳を見るとここにローウェル・ジョージとビル・ペインが来て、その後に行った感じですね。

田家:すごいなその手帳(笑)。

三浦:リトル・フィートのリズム隊を見てびっくりしちゃって。それで後の矢野顕子さんのレコーディングで一緒にやらせてもらうっていうところに繋がるんですよね。

田家:なるほどね。さっきアメリカの録音を見に行くみたいな話をされたときに、例えばサンセット・サウンドであったり、そういうスタジオまでみなさんはイメージがおありになったんですか。

三浦:いやそれはロサンゼルスにいるキャシー・カイザーさんっていうコーディネーターの方、彼女は「ミュージック・ライフ」の特派員だったんですけど、全部やってくれたんですよね。サンセット・サウンド・スタジオもバッファロー・スプリングフィールドの「ブルーバード」を録ったところだったからね。サンセット・ブルーバードだったから「ブルーバード」したのかもしれないですよね。あと、所謂バーバンク・サウンドの人たちが使ってるスタジオ。当時はロック専用のスタジオって言われてました。

田家:バーバンク・サウンドには レニー・ワロンカーっていう名プロデューサーがいて、ライ・クーダーとか、いろいろな人がやってましたけども。

三浦:そうそう。ランディ・ニューマンとレニー・ワロンカーが幼馴染でヴァン・ダイクがワーナーの社員。それでその3人が核になってリトル・フィートとかドゥービー・ブラザーズ、それからライ・クーダーですよね。そのへんでバーバンク・サウンドみたいなやつをやってましたよね。

田家:三浦さんの中にレニー・ワロンカーという意識はもうあったんですか?

三浦:僕は日本で一番売れなかった洋楽があることを『ミュージックマガジン』で聞いて。それがヴァン・ダイクの「ソングサイクル」で。当時、僕のうちに居候してたみんなでそれを聴いて、みんな一番売れなかったレコードにはまっちゃって。それで LA へ行くんだったらバーバンク・サウンドだなってちらっと僕も思ってて、大瀧さんにしても細野さんにしても茂さんにしても大体そっちの傾向ですよね。渡さんもライ・クーダーが好きだった。だから、もうざっくりとバーバンク・サウンド、当時カリフォルニア・サウンドって言ってたんですけど、それをイメージして、『ヤングギター』の山本さんとキャシー・カイザーさんに『風待ち』のアルバムを渡したんですよ。キャシーさんはそれを見て、サンセット・サウンド・スタジオとかヴァン・ダイク・パークスとか、そういう人たちを連れてきてくれたんです。だからもろバーバンクの中心人物を連れてきたってことですよ。

田家:三浦さんはレニー・ワロンカーか何かに憧れてたんではないかって説があったりも。

三浦:そうなんですよ。僕、人に言ったことないんです。恥ずかしいからね。

田家:でも憧れはあったんですか。

三浦:もちろんありましたよ。帰ってきていろいろ調べたらレニー・ワロンカーという人がリプリーズっていうワーナーの子会社の社員になって、その子会社を活性化させてワーナー本体の社長になったという。やっぱり名盤を一番出してるのが、その人だと思って。ライ・クーダーの最初の作品もレニー・ワロンカーですよね。

田家:それは帰ってから調べたんですね。行ったときには?

三浦:全然知らない。

田家:なるほどね。本当に体当たりみたいな形で行ったんですね。

三浦:たまたま行ったところが、今で言う音楽のシリコンバレーみたいなところだったんですよね。これから新しい人がどんどん出るよという時期にたまたま中心人物と一緒に仕事できたのは奇跡ですよね、

田家:日本もアメリカもそういう時代だったと。今日最後の曲は「さよならアメリカ さよならニッポン」です。

Rolling Stone Japan 編集部

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