ベルウッド・レコード・三浦光紀が語る、西岡恭蔵との出会いからはっぴいえんど解散まで



田家:この曲で終わるべくして終わる流れですね。1972年当時僕らの気分はこれでした。

三浦:一般的には曲によってはっぴいえんどの日本語のロックは完結したと言われてますけど、僕もそう思いますね。一番気に入っているのは誰が言ったか忘れたけど「この曲は日本のロックのマニフェストとして今も生きてる」っていうコメント。それを聞いて、すごいなと思ってね。大瀧さんがレコーディングのことをネットでいろいろ詳しく話してますけど、僕もその場にいたんです。所謂いろいろなリズムを同時進行するポリリズムも加えながら、ヴァン・ダイク、細野さん、大瀧さんが同じ場所で作業をしてるのが今から思えばすごい光景だなって思いますね。結局あの曲が自分たちにとっての転機だったって全員が言ってますけど、大瀧さんもレコーディングのやり方を見て「もうこれで僕は全てわかった」って言ってましたしね。だから、そういう意味ではこの1曲はいろいろな意味でメンバーにも、それから後の日本のレコーディングにも影響を与えたんじゃないかなと僕は思ってます。

田家:アメリカにも学ぶものはないし、日本には帰るものがないと。

三浦:そうそう。日本とかアメリカとかそういうのを超えたということですよね。

田家:無国籍宣言ですよね。三浦さんは日本の音楽に対してはどんなふうに思ってらしたんですか。

三浦:とにかくクオリティの高い音楽を作ろうということしか念頭になかったので、まさに集まってきた人たちはそれにふさわしい人たちばっかりだった。彼らの活動に僕が乗っかっていったという感じですよね。

田家:なるほど。来週は4週目です。よろしくお願いします。

Rolling Stone Japan 編集部

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