『あんときのRADWIMPS』著者が語る、震災とメンバー活動休止期のRADWIMPS



田家:2012年3月11日にYouTubeで発表された『白日』。お聴きいただいたのは10年後に発売されたバージョンですね。3月11日、95ページに“22時。いまだ、電話は繋がらない”という書き出しがありました。

渡辺:あの時のことは今でもよく覚えていますね。

田家:マネージャーの塚ちゃんから、洋次郎が震災支援サイトを作ろうとしていますって連絡が来たんでしょ?

渡辺:はい。最初はよく分からないんですよね。サイトって何?みたいな。だって現地はネットなんて見られないわけじゃないですか。電気も足りていないのに。でもまあ、そんなことを洋次郎が分からないわけがないので、何らかの意味があるんだろうなと思ってとにかく全力で手伝うってことだけ伝えて。たぶん居ても立っても居られない、洋次郎の心象風景としては分かったのですぐやろうと。

田家:第十章が「糸色-Itoshiki-」というタイトルなんですけど、その中にこういう小見出しがありました。“洋次郎と20回ぐらいの電話で話したこと”。

渡辺:一番びっくりしたのが、何故支援サイトを立ち上げるのかを聞いたら、サイトを観て、そこに応援メッセージを送ることで、テレビを観てるしかできなくて、居ても立っても居られない人の気持ちを和らげられるかもしれないということでした。被災地以外の人を救うサイト。それがまわりまわって、最後には被災地に届くんだっていう。その旗振りをやれたらって。あ、そういうことなのかって驚きました。同時に糸色のホームページにあげる音楽や映像とかも作っていたので、キャンドルが回るとhopeになるという映像だったんですけど、とにかくフル回転していましたね。

田家:糸色っていう言葉は最初から彼がサイトを立ち上げたいという時から?

渡辺:そうですね。サイトの名前は糸色だよって言って。

田家:『絶体絶命』のツアー<絶体延命>が4月1日から組まれていて、初日が福島で最初の4日間が東北だった。

渡辺:福島から始まって東北を周って北海道に入るツアーで、初日から延期になりました。

田家:12日の函館から始まったわけですが、そのツアーの1曲目がこの曲でありました。アルバム『絶体絶命』の1曲目『億万笑者』。



田家:「どれほどの価値があるか手放してから知るんだ」。このツアータイトルとか、そこでどういう曲順で演奏するかというセットリストが当然決まっているわけでしょ?

渡辺:はい。ツアータイトルの「絶体延命」という言葉も、もちろん震災が起きるなんて思いもしないでつけているわけですから。震災後初日の福島からツアーが延期になっていつできるかも分からないという中、それでも被災地に物資を届けたいって物資を集めたりもするんですけど。ツアーリハーサルが始まって、1曲目はこの曲に決まって衣装も全員喪に服すように黒と白の服で。ツアーに出る前に洋次郎からメンバースタッフ全員に、「被災地を胸に全力でやろう」とメールが届きました。とにかく被災地を胸に、みんなすごく真摯に受け止めながら始まったツアーだったと思います。

田家:さっきお聴きいただいた「DADA」を歌った時の洋次郎さんのコメントを読んで、あ、そうだったんだと思いました。「いつまた地震が来るかも分からないし、原発がどうなるか分からない、死ぬまで生きろ」という。

渡辺:ツアー中、ずっと言っていたのが、「死ぬまで生きろ」。大事なものはとことん大事にして、好きな人がいるなら、すぐ好きだって言って抱きしめてという。何かが突然なくなっちゃうかも分からないから、大事なものだけ持って死ぬまで生きろっていうのはずっと言ってました。

田家:そういう経験がバンドをいつか根本からポジティブに変えるだろうともお書きになっていましたね。

渡辺:はい。これも僕の個人的な感想なんですけど、RADWIMPSとしても更地になったというか。休止してもおかしくないぐらい燃え尽きるようなツアーだったので。その後がまた続いていく中で、さっきのリスタートじゃないですけどまた再建していくというか、希望があって再建していくんだろうなと思えて。この先バンドはポジティブにたくましく歩んでいくんだろうなというのは、感覚としてツアー終盤くらいからありました。

田家:RADWIMPSの始まりは野田さんという、とても個人的なところから始まって。それが野田さんと世界、音楽と世界みたいなところに広がっていったところで世界が震災によって壊されてしまったと。

渡辺:最初は彼女に愛を叫ぶための装置だったんですよね、RADWIMPSは。それが“世界と自分”にまで歌う対象が拡がっていった時に、その世界が壊れてしまって。その中でもまた音楽を作リ続けてくということは、希望を持った動きになっていくんだろうなと。何度かリスタートした時もそうだったんですけど、メンバーのひとりが辞めるって言って戻ってきて復活した時の曲が「マニフェスト」なんです。バンドをまたできる喜び。8ビートは禁止って言っていたバンドが、8ビートで高らかに復活してくるんです。バンド小僧のように。そういうものがまた訪れるんだろうなというのはありましたね。

Rolling Stone Japan 編集部

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