史上最高のギタリスト250選

40位 ジョン・フェイヒィ / John Fahey

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2001年に61歳でこの世を去ったジョン・フェイヒィは、見事なフィンガーピッキングで有名なアメリカン・フォークギターの異才だった。彼はトラディショナルなブルーズにモダン・クラシックの高度なハーモニーを融合させ、ブルーズの持つ美しさを巧みに掘り起こした。「彼の音楽には、果てしない自由を感じる」と元キャプテン・ビーフハートのギタリスト、ゲイリー・ルーカスは言う。フェイヒィは『The Transfiguration of Blind Joe Death』(1965年)や『The Voice of the Turtle』(1968年)などの名作アルバムを、自身のレーベルであるタコマ・レコーズからリリースしている。また、優れた音楽学者でもあった。90年代になるとフェイヒィはエレキギターに持ち替えて、スパイキーなミニマリズムへと転向した。「ジョン・フェイヒィのお墨付きを得られたことは、俺たちのやっている音楽のジャンルにとって、本当に特別なことだった」と、ソニック・ユースのサーストン・ムーアは言う。




39位 チェット・アトキンス / Chet Atkins

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レコード会社の重役兼プロデューサーとしても活躍したチェット・アトキンスは、ポップな「ナッシュビル・サウンド」の生みの親として、商業的に低迷していた1960年代のカントリー・ミュージック界を救った。カントリー、ジャズ、クラシックをマスターした彼は、ギタリストとしてもさらに創造性豊かで、親指とその他の3本の指を使ってコードとメロディを同時に弾く独特の演奏スタイルを生み出した。「試行錯誤の繰り返しさ」と、1976年にローリングストーン誌のインタビューで語っている。「1日16時間ギターを離さず、あらゆることを試した」。ハンク・ウィリアムズの「Your Cheatin’ Heart」やエルヴィス・プレスリーの「Heartbreak Hotel」、エヴァリー・ブラザーズの初期のヒット作で聴けるアトキンスの演奏は、リラックスして控えめだ。しかし一方で、インストゥルメンタル中心のソロアルバムには、さまざまなギタートリックや絡み合うハーモニー、アルペジオ、ピュアで透明感のあるクリアなトーンがぎっしり詰まっている。「すべてのギタリストに影響を与えたんじゃないか」とデュアン・エディは言う。





38位 アンガス・ヤング&マルコム・ヤング / Angus Young and Malcolm Young

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AC/DCの1990年のシングル曲「Thunderstruck」はまるで、モーツァルトとジョン・リー・フッカーを足して2で割ったようなサウンドだった。アンガス・ヤングが電光石火のオスティナートを奏で続け、兄のマルコム・ヤングは大地を揺るがすブルーズリフを繰り出す。2人のギタリストが、AC/DCの比類なき爆発力を支えている。アンガスの荒々しいプレイとマルコムの堅実なギターは、歴代シンガーのボン・スコットとブライアン・ジョンソンの発する危うい歌詞と共に、バンドのトレードマークとなった。「Highway to Hell」や「Back in Black」でマルコムが弾くノリの良いギターリフに乗せて、ランドセルを背負った身長158cmの問題児アンガスが、強烈なギターソロでオーディエンスを挑発しながら、一躍ギターヒーローになった。「Whole Lotta Rosie」や「If You Want Blood (You’ve Got It)」、「For Those About to Rock」に代表されるように、2人のパワーの相乗効果がAC/DC独自のうねりを生み出す。





37位 ピート・タウンゼント / Pete Townshend

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ギターには、ルート音と5度上の2音だけに絞って鳴らすパワーコードというのがある。ピート・タウンゼントがパワーコードの生みの親という訳ではないが、彼がパワーコードを使ったビッグなサウンドを誇示してくれたお陰で、現代のギタリストはヒーロー扱いされるようになった。例えばザ・フーの楽曲「Won’t Get Fooled Again」の冒頭で鳴る、ジャーンというA音とE音のコードが、分かりやすい例だ。タウンゼントは、アンプのフィードバック音を音楽の一部として利用した最初のプレーヤーの一人だった。さらに、ギターソロよりもリフとソングライティングを重視した(タウンゼントのリードギターは過小評価されていると思う)スタイルにより、ウッドストック世代のパンクロッカーたちに愛されるギタリストとなった。一方で「Substitute」や「Pinball Wizard」ではドローンノートやコード転回を駆使するなど、単にパワーだけでなく洗練されたギタープレイもできることを証明している。ザ・フーのライヴは、スタジオ盤よりもヘヴィなことで知られた。『Live at Leeds』時代のコンサートでは、レッド・ツェッペリン、ヘヴィメタル、パンクへの指向が強く見られると同時に、ギターが将来向かうべき方向性も示していた。





36位 エリザベス・コットン / Elizabeth Cotten

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エリザベス・コットンはすべて独学で、ユニークなギタースタイルとサウンドを確立した。ノースカロライナ州出身の彼女は一時期、音楽一家であるシーガー家で働いていた。彼女は左利きだが、通常の右利き用に弦を張ったギターをそのままひっくり返して弾いていた。そのため、彼女の名作「Freight Train」で見られるように、親指でメロディを奏で、その他の指でベース音を弾くリズミカルな奏法が生まれた。「自分で全パートを担当するこのやり方がしっくり来るのよ。こんなやり方は誰もしていなかったわね」と彼女は、1981年にサンディエゴ・リーダー紙に語っている。「普通のやり方も試してみたけれど、ストロークで弾くことすらできなかった」という。彼女は長いこと音楽活動を休止していたが、60年代のフォークソング・リバイバルで再び脚光を浴びる。そして亡くなってから暫く経った2022年、ロックの殿堂でアーリー・インフルエンス賞を受賞した。



Translated by Smokva Tokyo

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