史上最高のギタリスト250選

25位 ジョン・フルシアンテ / John Frusciante

Joey Foley/FilmMagic

かつてのレッド・ホット・チリ・ペッパーズに音楽的な特徴が無いように思えてしまうのは、ジュリアード音楽院で学んだピアニストの息子であるジョン・フルシアンテの存在が大きい。オリジナル・メンバーの故ヒレル・スロヴァクは、バンドにとって余人をもって代え難いギタリストだった。しかし2度の脱退を経てまた復帰したフルシアンテが、チリ・ペッパーズをホワイト・ファンクのゲットーから引きずり出し、独自の世界を築く上で重要な役割を果たした。常に楽曲に対して忠実にプレイするフルシアンテだが、スティーヴィー・ワンダーのカバー曲「Higher Ground」にフィーチャーしたハードロックのギターリフ、センシティブに響く「Under the Bridge」や「Scar Tissue」のギター、「Breaking the Girl」のムーディーな雰囲気、「Dani California」のジミ・ヘンドリックス張りに激しいギターソロなど、チリ・ペッパーズにかつてない音楽の幅をもたらした。幅広くさまざまな要素を取り入れたアルバム『Californication』や『Blood Sugar Sex Magik』などは特に、バラエティに富んでいる。またフルシアンテを、オルタナティヴ・ロック時代の最も影響力と勢いのあるギタリストにした作品でもある。




24位 ジェームズ・バートン / James Burton

Gijsbert Hanekroot/Redferns/Getty Images

ジェームズ・バートンのトレードマークで、クリアで明るく歯切れの良いサウンドを弾き出す「チキン・ピッキング」は、カントリー・ミュージックに欠かせないユニークなテクニックであると同時に、ロックギターにも大きな影響をもたらした。14歳でキャリアをスタートさせたバートンは、1957年にデール・ホーキンスへ「Susie Q」を提供し、その後リッキー・ネルソンのバンドへ加入すると、ティーンエイジのスターとして一気に有名になった。ネルソン時代にバートンは、ギターピックとフィンガーピッキングを併用するユニークなテクニックを編み出した。さらに、当時使用していたフェンダー・テレキャスターの高い方から4本の弦をバンジョー用の弦に張り替えて、切れの良い弾けるユニークなギターサウンドを実現した。「俺の買ったレコードは、リッキー・ネルソンのレコードではない。ジェームズ・バートンのレコードだ」とキース・リチャーズは言う。60年代後半から70年代にかけてバートンは、エルヴィス・プレスリーのTCBバンドに所属する傍らで、ジョニ・ミッチェルやグラム・パーソンズといったカントリー寄りのレコーディングにも参加した。「 “俺のお気に入りのレコードすべてにクレジットされているこの人は、いったい何者だ?”という感じで、とてもミステリアスな存在だった」と、ジョー・ウォルシュは振り返る。「彼のギターテクニックは、何よりも重要だった」。





23位 ジェイムズ・ヘットフィールド&カーク・ハメット / James Hetfield and Kirk Hammett

Koh Hasebe/Shinko Music/Getty Images

スピード狂として衝撃のデビューを果たしたメタリカ。シンガー兼リズムギターのジェイムズ・ヘットフィールドが繰り出す高速ヘッドバンギングのリフは、まるでブラック・サバスのレコードを78回転で高速再生しているようだ。さらにリードギターのカーク・ハメットが、ありとあらゆる方向へ音を撒き散らす。ヘットフィールドは、ハメットの前任者であるデイヴ・ムステイン(現在はメガデスのギターヒーロー)と共に最速のギタープレイを目指して、指の動きを最低限に抑える速弾き法を研究した。結果として「Phantom Lord」や「Jump in the Fire」などの楽曲で、ヘヴィメタルに新たな風を吹き込むこととなる。さらにジョー・サトリアーニに師事した経験のあるハメットが、2ndアルバム収録の「Fade to Black」や「The Call of Ktulu」のようにソウルフルなメロディを持ち込んだことで、バンドに新たなカラーが加わった。激しい怒りを叩きつけるようなヘットフィールドのギターと、ワウワウを駆使したハメットのエモーショナルでセンシティブなメロディの二面性が、バンドを大きな成功に導いたと言える。「Enter Sandman」「One」「Master of Puppets」などには、メタリカの特徴である静と動が明確に表現されている。





22位 アルバート・キング / Albert King

Michael Ochs Archives/Getty Images

1968年にローリングストーン誌は、アルバート・キングがどんなギタリストに影響を受けたか尋ねている。彼は「誰からも学んでいない。俺のやっていることは全部間違いだ」と答えた。エレクトリック・ブルーズのパイオニアの一人である左利きのキングは、右利き用のギブソン・フライングV(1959年製)を、低音弦が下に来る形でひっくり返してプレイした。チューニングも変則的で、左手の親指を使って弦を弾いていた。身長193cm、体重136kgと体格のよかったキングは、誰よりも大きくパワフルに弦をベンドできた。エリック・クラプトンは「Strange Brew」(クリームの楽曲)でキング調のギターソロを披露し、デュアン・オールマンは、キングの「As the Years Go Passing By」のメロディを「Layla」(デレク・アンド・ザ・ドミノス)のメインリフとして取り込んだ。ジミ・ヘンドリックスは、1967年にザ・フィルモアで行ったコンサートのオープニングを、自身のギターヒーローだったキングが務めた時のことを、決して忘れなかった。「俺が(ヘンドリックスに)ブルーズを教えてやったのさ」とキングは語った。「俺は奴の曲を簡単に弾けたが、奴は俺の曲を弾けなかったからな」。




21位 ランディ・ローズ / Randy Rhoads

Paul Natkin/WireImage

ランディ・ローズのギタリストとしてのキャリアは、あまりにも短すぎた。1982年、彼は飛行機事故でこの世を去った。25歳だった。オジー・オズボーンの「Crazy Train」や「Mr. Crowley」のギターソロに代表される、緻密に構成された正確な速弾きは、その後のヘヴィメタル/ハードロックにおけるギターソロのお手本となった。「彼のように弾きたくて、1日8時間も練習した」と語るトム・モレロは、ランディ・ローズを「史上最高のハードロック/ヘヴィメタルのギタープレイヤーだ」と称賛する。ティーンエイジャーの時にクワイエット・ライオットを結成したローズは、バンド活動とギター講師を数年間続けていたが、その後1979年にオジー・オズボーンのブリザード・オブ・オズ・バンドに加入する。ローズは、オジー・オズボーン・バンドのツアーで訪れたそれぞれの都市で、ギターレッスンを受けていたとも伝えられている。最後のアルバムとなったオズボーンの『Diary of a Madman』でローズは、さらにクラシック音楽へ傾倒すると同時に、ジャズへも幅を広げていった。「彼は、ギタープレイヤーとしての自分を極めようとしていた」とニッキー・シックス(モトリー・クルー)は言う。「あと少しのところだった」。




Translated by Smokva Tokyo

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