史上最高のギタリスト250選

20位 スティーヴィー・レイ・ヴォーン / Stevie Ray Vaughan

Robert Knight Archive/Redferns/Getty Images

1980年前半はMTVが開局して音楽が盛り上がりを見せていたものの、ブルーズギターは主流から遠く離れた場所にあった。そのような状況の中でも、テキサス出身のスティーヴィー・レイ・ヴォーンは、注目を集める存在だった。彼は、歴史に残る偉大なるブルーズギタリストたちのスタイルを全く踏襲せず、ジミ・ヘンドリックスやジャズやロカビリーの要素を積極的に取り入れた。さらに、彼の出す強力なトーンとさりげなく繰り出す高度なテクニック、そして非の打ちどころの無いスイングのセンスで「Pride and Joy」のようなブルーズ・シャッフルを、ヘヴィメタルの楽曲と同じレベルのヒット作に仕上げた。ヴォーンは、B.B.キングやエリック・クラプトンといったブルーズギタリストからも、一目置かれる存在だった。1990年にヘリコプターの墜落事故によってこの世を去った後も、マイク・マクレディ(パール・ジャム)からジョン・メイヤーやゲイリー・クラーク・ジュニアまで、何世代にも渡るギタリストに影響を与え続けている。「スティーヴィー・レイ・ヴォーンに憧れて、ストラトキャスターが欲しかった。でも彼の出すトーンはとても大きくて厚みがあり、同時にブライトだった。とても真似できない」とクラークは言う。「彼のレコードや動画を視聴してみれば、彼が常に全力でプレイしているのが分かる。彼のパッションには圧倒される」。




19位 フレディ・キング / Freddy King

Leni Sinclair/Michael Ochs Archives/Getty Images

1985年のインタビューでエリック・クラプトンは、フレディ・キングのB面曲「I Love the Woman」(1961年)を聴いて「ベンディングを多用する彼のエレクトリック・リードギターが、自分の方向性を決定づけた」と語っている。クラプトンだけでなく、ピーター・グリーン、ジェフ・ベック、ミック・テイラーといったイギリスのギターヒーローたちもまた「The Stumble」「I’m Tore Down」「Someday, After Awhile」といったフレディ・キングの代表曲にフィーチャーされたシャープなトレブル・トーンやシンプルながらメロディックなフックから、大きな影響を受けた。立派な体格と挑発的なライヴでのプレイスタイルから「テキサスのキャノンボール」と呼ばれたキングのギターアタックは、特徴的だった。「金属と金属が当たって生まれるサウンドは、印象深い」とデレク・トラックスは言う。キングは、バンジョー用の金属製ピックを使ってギターを弾いていた。「でも、彼と同じやり方をしたところで、彼のようなギターサウンドにはならない」とトラックスは指摘する。さらに「エリック(・クラプトン)と一緒にプレイした時に、彼のギターソロからフレディ・キングを感じたことが何度もある」と、フレディ・キングがクラプトンに与えた影響力の大きさも証言している。




18位 トム・モレロ / Tom Morello

Taylor Hill/Getty Images

ジミ・ヘンドリックスのようなレアケースを除き、過去4〜50年のロックギターのサウンドは、どれも似通っていた。そこへ現れたのがレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンと、そのバンドでギターを弾くイノベーターだった。ボーカルのザック・デ・ラ・ロッチャが政治問題を込めた歌詞を激しくぶつければ、トム・モレロは斬新なギターサウンドと独特なギタープレイで応戦する。「Bulls on Parade」(『Evil Empire』)のレコード・スクラッチ音、デビューアルバム(1992年)に収録された「Killing in the Name」でエイリアンがプレイするビデオゲームのサウンド、同じくデビューアルバムの「Fistful of Steel」で聴こえる急降下爆撃機のようなサウンドなどはすべて、ギターとエフェクトペダルのみで作り出したモレロのイマジネーションの産物だ。「Sleep Now in the Fire」などエフェクターを駆使したモレロのギタープレイは、ザ・ストゥージズのロン・アシュトンを彷彿させるが、モレロの場合は、よりエネルギッシュにパワーアップしている。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンがスタジオ・バンドとしての活動を休止して以降のモレロは、ザ・ナイトウォッチマンやストリート・スウィーパー・ソーシャル・クラブといったプロジェクトを続けているものの、活動は比較的控えめだった。しかし、ギターへの一般的な固定観念に対して彼が抱く激しい怒りの痕跡は、永遠に残り続ける。




17位 マザー・メイベル・カーター / Mother Maybelle Carter

Robert Alexander/Archive Photos/Getty Images

「カーター・スクラッチ」として知られるギター奏法は、メイベル・カーターが自ら全くゼロの状態から発明した訳ではない。元々はレスリー・リドルが、自分の生み出した独特のフィンガーピッキング・スタイルをカーターに教えたところから始まった。その後、ザ・カーター・ファミリー名義で出した「Will the Circle Be Unbroken」「Wildwood Flower」「Bury Me Under the Weeping Willow」を通じて、カーターの奏法が世界的に知られるようになった。13歳でギターを弾き始めたカーターは、ギターを、単にかき鳴らしてリズムを刻む道具から、メロディ、リズム、ベースを同時にプレイできる楽器へと進化させた。彼女は「史上最も模倣されたギタープレイヤー」だと、シンガーソングライター(で、数多くの弟子の一人でもある)コートニー・マリー・アンドリューズが2019年に語っている。「私がギターを弾き始めた時は、周囲に一緒にやってくれる人間が一人もいなかった」と、カーターはかつて語っている。「だから私は、自分でスタイルを開発するほかなかった」。




16位 ロバート・ジョンソン / Robert Johnson

Robert Johnson Estate/Hulton Archive/Getty Images

ロバート・ジョンソンの名前が世に知られるようになったのは、1938年にこの世を去ってから、何十年も経った後だった。1936年〜1937年の間にジョンソンがレコーディングした「Cross Road Blues」「Love in Vain」「Traveling Riverside Blues」を含む29の名曲は、エリック・クラプトンやボブ・ディランら後世のロックギタリストのバイブルとなった。クラプトンもディランも、一台のギターでアンサンブル全体を表現するジョンソンのプレイに圧倒された。ピッキング、スライド、リズムの各パート同士がワイワイガヤガヤと会話しているところに、霧の中からリフが現れては消えてゆく。クリーム、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、ホワイト・ストライプスをはじめ、ブルーズの影響を受けたほとんどのアーティストが、ジョンソンの作品をカバーしている。ボブ・ディランは自叙伝『Chronicles』の中で、リリースされて間もないジョンソンのアルバム『King of the Delta Blues Singers』を聴いた時の衝撃を振り返っている。「スピーカーから出た最初の音を聴いた瞬間に、全身を電気が走った。ギターの突き刺すようなサウンドで、窓が割れてしまうかと思った」。



Translated by Smokva Tokyo

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