史上最高のギタリスト250選

15位 キース・リチャーズ / Keith Richards

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キース・リチャーズを見ているといつも、ギターは簡単に弾けるものだと思ってしまう。「(I Can’t Get No) Satisfaction」「Start Me Up」「Brown Sugar」など誰もが知るギターリフの裏には、飾り気無しのシンプルなテクニックと、音同士の美しい調和、言葉で説明できない巧みなスイングのセンスがある。60年代は、ブライアン・ジョーンズの次々とほとばしるインスピレーションを、リチャーズの揺るぎないギタープレイが支えた。「Time Is on My Side」「Paint It, Black」「Under My Thumb」のように、ジョーンズがスライド・ギターを弾こうが、或いはマリンバをプレイしようが、リチャーズが独特のスイングで曲の土台を作った。70年代は、リードギタリストとして加入したミック・テイラーのバックで「Tumbling Dice」「Can’t You Hear Me Knocking」「Wild Horses」など、グルーヴ豊かなリズムを刻んだ。またブルーズ曲「Love in Vain」からバラード曲「Angie」まで、アコースティック・ギターでも幅広いジャンルをこなした。そしてロン・ウッドが加わってからは、2人のギタリストが陰と陽になり、リフもソロも2人で分担するようになった。それぞれのパートを上手く編み合わせながら、曲が構成されている。「(いいギターリフは)指先からギターを通じて自然と出てくるものだ」とリチャーズは、2020年のローリングストーン誌とのインタビューで語っている。「何も考えず、何も作り込まず、ルールに縛られず、何も無い状態から、理想的なギターリフが生まれる。今は何も存在していないのに、次の瞬間にはパッとできあがっているのさ」。






14位 プリンス / Prince

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「Purple Rain」のギターソロは、おそらく史上最も素晴らしいパワーバラードだろう。プリンスは、ジミー・ノーランやナイル・ロジャースのようなファンクもこなせば、エディ・ヴァン・ヘイレンのような泣きのギターも得意とする。またボ・ディドリーのように、ギターの形状自体も新たに作り上げた。80年代半ばから使用した黄色い「クラウド・ギター」に始まり、数年間だが自分の名前に冠していたラヴ・シンボルをイメージした「シンボル・ギター」など、いくつかのカスタム・ギターがある。ジミ・ヘンドリックスと比較されることも多かったプリンスだが、本人は違う角度から見ていた。「彼も黒人だったという理由だけで、比較されるのだろう。ジミ・ヘンドリックスと僕との唯一の共通点だからね」とプリンスは、ローリングストーン誌に語った。「僕の作品をちゃんと聴いてみれば、ジミ・ヘンドリックスではなくサンタナの影響を受けていることが分かるはずさ。ヘンドリックスはブルーズ寄りだが、サンタナはもっと洗練されている」と彼は主張する。また彼は、ギターの神様と崇められることの、ごく小さなメリットを明かしてくれた。「エレクトリック・ギターを弾き続けると、いいこともある」と彼は言う。「全身を電気が流れて、ヘアスタイルをキープしてくれるんだ」。





13位 トニー・アイオミ / Tony Iommi

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ブラック・サバスの初期メンバーでヘヴィメタル・ギターの重鎮であるトニー・アイオミは、勤務していた工場での事故で、右手の中指と薬指の先端を切断してしまった。左利きであるアイオミは右手でギターのフレットを押さえるが、結果的に、アイオミ独自のドゥーミーなギタースタイルが生まれた。指先にプラスチックで加工した自家製サックをはめなければギターを弾けなかったため、弦はより細いライトゲージを使用し、コードやソロを弾く時も通常より強めに押さえつけるスタイルが出来上がった。出力の大きなレイニー製アンプと特注のダラス・レンジマスター(トレブル・ブースター)の組み合わせが、アイオミ自身の怪我の功名で生まれたプレイスタイルと相まって、ダークでおどろおどろしいサウンドが生み出された。さらに彼のギターは、ベンディングを容易にするためにチューニングを数音下げている。地に轟くアイオミのギタースタイルは、後に続く多くのヘヴィメタル・ギタリストのお手本となった。「当時は、自分で独自のサウンドを作らなければならなかった」とアイオミは、2020年にギター・マガジン誌に語っている。「自分が思い描いた通りの音を出してくれる機材など存在しなかった。だから自分で苦労を重ねながら、独自のトーンを作る必要があった。ゼロから自分自身で作った音には信頼が置けるから、俺にとっては理想的な状況だった」。




12位 ジミー・ノーレン / Jimmy Nolen

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ジミー・ノーランは、ジェームズ・ブラウンのバンドへ加入する以前に、下手なドラマーへの対処方法を編み出していた。「できる限り、ドラマーのようにリズムをキープすることに専念していた。ドラマーのために正確なリズムを刻んでやっていたようなものだ」と彼は言う。1965年初頭にブラウンのグループへ加入すると、彼のブライトなサウンドとノリの良さが、ブラウンの激高するリズムと見事にマッチした。まるで映画の中の恋人同士のようだった。ただ、実生活はそうロマンチックなものではなかった。1983年にこの世を去ったノーランだが、未亡人には、自分の後継者をこき使わないようブラウンへ要請するよう伝えていた。その後どうなったかは、誰もが知る通りだ。ノーラン特有の歯切れの良いコードが特徴的な1965年のヒット作「Papa’s Got a Brand New Bag」に始まり、同じくギターの切れ味鋭い「Let Yourself Go」や、「Cold Sweat」「Funky Drummer」といった名曲を通じて、ノーランはファンク(とR&B)のギタースタイルを確立した。オンオフの激しいリズムと、正確で鋭いリードが、時には脇役として、また時には主役として活躍する。




11位 カルロス・サンタナ / Carlos Santana

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ブルーズ、ジャズ、ラテン音楽を融合させたパイオニアであるカルロス・サンタナが世界的に注目されるようになったのは、ウッドストックでのパフォーマンスで喝采を浴びたのがきっかけだった。30年が経ってもパワーは衰えることなく、『Supernatural』は1500万枚を売り上げて、グラミー賞の9部門を受賞した。その間もずっとサンタナはクールにマイペースを貫き、ラテン世界と遠い世界をミックスした美しいメロディーを奏で続けた。「サンタナは、世にあるさまざまな要素を撚り合わせて、新たな音楽を作り出した。彼は自分のカルチャーを音楽に取り入れた」と、ロス・ロンリー・ボーイズのヘンリー・ガルサは言う。一音聴いただけで誰だか分かるミュージシャンは、マイルス・デイヴィスとB.B.キングぐらいしかいない。サンタナもその一人だ。サンタナ自身は、ウェス・モンゴメリーやグラント・グリーンらジャズメンをお手本にしようとした、と語っている。しかし「どんなに彼らを真似ようとしても無理だった。どうしても自分の音になってしまうんだ」という。その代わり、サンタナの洗練された透明感のあるギタートーンは、誰も真似ができない。それでも、彼の影響力は世界中に広がった。例えばプリンスは、ジミ・ヘンドリックスよりもサンタナから大きな影響を受けた、とかつて語っている。「サンタナの方が洗練されている」。




Translated by Smokva Tokyo

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