甲斐バンドの歴史と闘争、1983年から1986年までを振り返る

ダイナマイトが150屯 [Live] / 甲斐バンド

「THE BIG GIG」の2曲目です。これは1981年のアルバム『破れたハートを売り物に』の中に入っていたんです。この歌は若い人はご存知ないかもしれませんが、小林旭さんの代表曲なんです。作詞が関沢新一さん、作曲が演歌の大御所と言われている船村徹さん。日本のロックで血が騒ぐという意味で言いますと、この曲は日本のロックと言っていいでしょうね、九州の血というと語弊はあるかもしれませんが、博多の熱というのは甲斐さんがこの曲を選んでいるというところにある感じがしました。

1枚目のライブアルバム『サーカス&サーカス』の頃はティーンネイジャーの女性の歓声が多かった。黄色い歓声が彼らのライブの一つの象徴でもあったという話をしましたが、この頃は少年から男へという変わり方が伝わってきますね。お客さんの中には男の子たち、決して優等生とは思えないような男たちが「甲斐ー!」と叫びながら、泣いているシーンが繰り広げられていました。このイベントの後の年末のイベントで田中一郎さんが参加。1984年に正規メンバーになって1年かけて作ったのが、1985年3月に出た『ラヴ・マイナス・ゼロ』でしたね。このアルバムのために甲斐さんは2回ニューヨークに行っています。しかも、5月にニール・ドーフスマンという人と組んで、10月にはさらにボブ・クリアマウンテンでやり直したんです。タイトル曲をお聞きください。「ラブ・マイナス・ゼロ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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