甲斐バンドの歴史と闘争、1983年から1986年までを振り返る

冷血 (コールド・ブラッド) [Live] / 甲斐バンド

1986年3月、突然解散が発表されました。同年3月14日から始まった50本の最後のツアーのタイトルは「PARTY」。締め括りは武道館五日間の公演でした。その様子を収めた『THE 甲斐バンド FINAL CONCERT "PARTY"』からお聞きいただいております。

この曲はアルバム『ラブ・マイナス・ゼロ』の中に収録されているんですけど、トルーマン・カポーティという作家が書いた小説『冷血』という作品がありました。これは実際の殺人事件を元にしたノンフィクション・ノベルとして話題になったのですが、甲斐バンドのハードボイルド路線の代表的な曲がこれですね。そして、最後のツアーの見せ所の一曲でもありました。

解散のきっかけになったのは、ギターの大森信和さんの耳の不調でした。ライブでも音が聞き分けられないくらいに悪化してしまったので、このままだとバンドに迷惑がかかると思って大森さんが辞めたいと言って。甲斐さんは、大森さんと僕で始めたバンドだから解散しようということで一回ピリオドを打ちました。

でも、前例がなかったのは解散のストーリーなんです。1985年3月5日に12枚目となるアナログ2枚組のアルバム『REPEAT & FADE』をリリースしたんですが、これはメンバー4人がそれぞれの面を担当するというソロ・プロジェクトの2枚という感じだったんです。このアルバムの発売記念パーティーがありまして、その席上で解散を発表したんです。この時の甲斐さんのセリフがカッコ良くてですね、「トーンダウンした展開は嫌なんで。真夏の夜の花火のように、パーっと夜空に舞い上がって燃焼したい。甲斐バンドは解散します」と、言ったんです。でも最後のツアーは50本公演があったんですけど、このツアーでは一言も解散という言葉を使わなかった。武道館5日間の最後のセリフ、「サンキュー、じゃあね」。カッコよかったですね。

この5日間はさすがにこれが甲斐バンド見納めだということで、周辺の草むらとか木立の中に寝袋を持ち込んで寝泊まりしていたファンがいた。なかなかチケットが取れなかったわけですけども、スタンド席も開放されたんですがそこだけで2300名が入ったという、武道館の動員の記録という意味でも画期的なライブでありました。でも、この武道館の後というのがあったんですよ。それがこの甲斐バンドのダンディズムでしょう。その模様をお聞きください。ライブアルバム『シークレット・ギグ』から「港からやって来た女」。

Rolling Stone Japan 編集部

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