西岡恭蔵の軌跡、『プカプカ 西岡恭蔵伝』著者・中部博とたどる

西岡恭蔵(photo by 北畠健三)



俺達に明日はない / ザ・ディラン

田家:お聞きいただいているのは西岡恭蔵さんの「俺たちに明日はない」。1969年10月にURC の会員向けのアルバム、『第4回フォーク・キャンプ・コンサート』というライブアルバムが配布されまして、その中にこの曲ともう1曲「明日なき世界」が入っておりました。「明日なき世界」というのはバリー・マクガイアが原曲で、高石ともやさんが日本詞をつけて、清志郎さんがアルバム『カバーズ』でも歌っておりました。ベトナム戦争への反戦歌ですね。これを中部さんが選んできたのはすごいもの選んだと思いました。

中部:いや、田家さん今おっしゃったことを訂正したいんですけど、この曲は1969年10月の最初のアルバムに入ってないんです。

田家:あ、そうだ。書いてましたね。

中部:入ってなくて、このアルバムを復刻したときに入れたみたいなんですよ。その意味では大変貴重なんですね。恭蔵さんは、そのころ無名の大学生ですから。フォーク・キャンプってとこで歌ってた無名の大学生の1人にすぎなかった。それが残っていたんで、復刻した人が入れたんだと思うんですよ。西岡恭蔵がいたんだっていうことを残したんだと思うんですね。その意味で貴重なんです。

田家:貴重ですね。URCは元々商業主義に乗らない歌を自分たちの手でということで69年2月に始まった自主販売組織なわけですけど、第4回京都のフォーク・キャンプは8月15日。ディランの開店と同じです。その辺も中部さんが全部詳しく時系列を追ってたどってらっしゃいます。

中部:僕も「あれ?」と思ったんだけど、その日にディランが開店するんですけど、恭蔵さんはまだそこに行ってないんですよね。その頃、フォーク・スクールという集まりを大阪のプロテスタントの教会の方がやってて。大塚さんと西岡さんはそこで出会うんですね。それから恭蔵さんがディランに通うようになるっていう。

田家:なるほどね。大塚さんと西岡さんはディランで会ったわけではなくて、フォーク・スクールで会って、誘われてディランに行くようになったんだ。中部さんは1953年生まれで、これもあとがきでお書きになってたんですが、恭蔵さんと5年、歳が違っていて、その5年の大きさ、この差というのを取材を始めてから痛感するようになった。

中部:それは僕も背伸びした10代だったから、団塊の世代ですよ恭蔵さんたちは。多少お兄ちゃんたちの世代を分かっているつもりではいたんですよ。だけど、やっぱり全然わかってない。こっちが15歳、中学か高校行くぐらいの年で、向こうは20歳ですからね、やっぱり世界が全然違う。経験も違う。それから知識も違うし、持ってるものが全然違うんだなっていうのと。同じような状況の中にはいたんだろうけど、やっぱり15歳と20歳で差が大きすぎるなっていうのは調べれば調べるほどわかるんですよ。

田家:「俺たちに明日はない」を聞いて、恭蔵さん、「ピエロ」という言葉はこのときから使ってたんだと思いましたけど。

中部:そうなんです。しかもこの歌は、後にオリジナル・ザ・ディランというバンドをわざわざ作って歌うんですけど、それとも歌詞が違うんですよ。だから本当に最初の頃のザラザラな恭蔵さんの生の気持ちがこっちの歌詞の方には含まれているんです。だから洗練されてないけど、何かこうザラザラした感じがすごくいいんですよ。

田家:69年だなって感じがありましたね。

Rolling Stone Japan 編集部

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