西岡恭蔵の軌跡、『プカプカ 西岡恭蔵伝』著者・中部博とたどる

西岡恭蔵(photo by 北畠健三)



下町のディラン / 西岡恭蔵

田家:ディランという居場所を見つけられなかったら、西岡恭蔵はシンガー・ソングライターになっただろうかって書いてましたね。

中部:本当にそう思います。つまり、受け止める人たちが他ではいなかったということだと思うんですね。あんたはいいと言ってくれる人がここにはいたんだと思うんですね。「下町のディラン」って歌は、すごい単純な言葉なんですよ。恭蔵さんの歌にしては凝った比喩がない。比喩がいらないぐらい楽しかったんだろうなと。この「下町のディラン」と歌ってるディランはミナミのすぐそばですから、それが下町かどうかっていうのを僕は実は全然わかんなくて。大阪も取材に行ったり知ってる人もいたからよく知ってるつもりだったんだけど、あの辺も歩き回りましたね。大阪中を歩いていた。

BGM(プカプカ / 西岡恭蔵)~

田家:流れてますのは、「プカプカ」です。先ほどお聞きいただいたのは、ザ・ディランIIのものだったんですが、これはソロのファーストアルバム『ディランにて』の中に入っている「プカプカ」ですね。中部博さんがお書きになった『プカプカ 西岡恭蔵伝』。この本の第一章が「プカプカの謎」でありました。どんな謎だったんですか?

中部:ファンの方はよくご存知だと思うけど、バースが途中でついたりとか、サブタイトルが変わったりという、西岡さんの心の成長とか心境の変化で、細かいところが変わる歌なんですよね。

田家:ザ・ディランIIの方は、「みなみのブルース」っていうまたサブタイトルがついてまして、ソロになってからは「赤い屋根の女の子に」に変わってますね。

中部:それはなぜかっていうのが疑問だったのと、バースっていうのかな、レチタティーポっていうのかな、前歌がつくんですよ。バースで「冬の雨の相合い傘」って突然歌われるんだけど、それがなんだか全く説明されてない。これ何かあるなとは思ってたんですよ。それを調べに行ったら何かあったんです、本当に。

田家:この「赤い屋根の女の子に」にはですね、近大時代の下宿の母屋が赤い屋根の家だったという。

中部:そう。母屋が黒い屋根で、その女の子の部屋が赤い屋根だったんですね。この下宿の建物は壊されてしまったんですけど、取り壊される前に僕は見せていただきましたよ。本当に赤い屋根でした。

田家:それ、どうやってたどっていったんですか。

中部:大塚さんが、昔恋人がいたって言うんですよ。ブログをやってらっしゃって、パリにいる人なんです。それで「会いたい」と言って「パリまで行きます」って言ってたんだけど、日本へ帰ってこられることが何度かあって、幸い日本で3回ぐらいお会いして、お話をして。

田家:房子さんという恋人で、婚約までしていた。

中部:他の人とね(笑)。西岡さんは房子さんのことが好きで好きでしょうがなかったんだけど、相手にされてないっていう。まさに「プカプカ」は西岡さんの体験だったんですね。一般には安田南さんというジャズシンガーがモデルだと言われて。

田家:「みなみのブル―ス」の「みなみ」は、安田「南」であると。

中部:これはインスパイアされたっていう意味では本当だと思うんですよ。一緒に劇団活動をやってるときに、西岡さんはベースを弾いて、安田南さんが演技をしてるの見てるわけですからインスパイアされてるんだと思うんですよ。でも中身はやっぱり自分の体験だったっていう。そういう二重構造を持った歌なんですよね。だから当時の西岡さんデビューアルバムにしても、それからさっき言った「オリジナル・ザ・ディラン」にしても、ああいう歌ってみんな房子さんとの恋の歌ですよ。実らない恋というか失恋の歌ばかりです。だから明るくないっちゃ明るくない。

Rolling Stone Japan 編集部

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