西岡恭蔵とKURO、世界旅行をしながら生み出した楽曲をたどる

YELLOW MOON / 西岡恭蔵

田家:ロマンチックないい曲ですね。

中部:50年代、60年代のポピュラーミュージックって感じがしていいんですけど、KUROさんが詞を書くと「月」がすごく多くなってくるんですね。

田家:たしかに。「アフリカの月」とか。

中部:それから「ブルー・ムーン・ラ・パルマ」という歌もありますから、月の歌が多くなってくるんだけど、西岡さんも安心して月のイメージにのっている感じがしますよね。

田家:なるほどね。『New York to Jamaica』は、3回目の長期旅行で生まれていて、どんなアルバムだと思われますか?

中部:これは、ロックならロック、ジャズならジャズ、ポピュラーミュージックならポピュラーミュージックみたいにものすごくはっきりして、いろいろなチャレンジが1つ形になっていったアルバムだと思うんですよね。旅行をしてアルバムを作るのはこのアルバムで終わって、三部作で完結ということになるんですね。

田家:でも、1971年にザ・ディランⅡで始まって、ちょうど10年間。すごい10年ですよね。

中部:すごいと思います。普通のペースじゃないですよね。

田家:大阪から東京に来て、プロになってデビューして……。その後に3回、海外長期旅行をしている。こういうキャリアの人は70年代の過ごし方の中でも他にいないだろうなというのが今回のあらためての発見でもありますね。

中部:自由な旅行をしていますよ。日本語のガイドブックもちゃんとなかった時代ですから、現地に行ってからホテルを探したりしている旅行ですから、それ自体が冒険的要素を含んでいておもしろかったんだと思うんです。そういうKUROさんと恭蔵さんが持っている好奇心、それから行動力が全開に出ていたんじゃないですかね、この10年間は。


左から中部博、田家秀樹

田家:で、そういう10年間の後に待っていたのが、来週以降の話になるわけですね。

中部:そうなんです。つらい話と言えば、つらい話なんですけれども(KUROさんに支えられ)音楽の力とか仲間たちと一緒に、恭蔵さんは生きていこうとするんです。

田家:その話は、また来週お願いします。ありがとうございました。

中部:どうもありがとうございました。

Rolling Stone Japan 編集部

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