八神純子、“私とアメリカ”をテーマに名曲の軌跡を辿る



田家:これはどんなふうに褒められたんですか?

八神:これは褒められてうれしかった曲だったんですけども、アメリカのバンガードというレーベルでアルバムを1枚出したときに、向こうのシンガーソングライターたちの曲を私が歌ったんです。そのうちの1人で私が大好きだったフレイニー・ゴールドという女性のライターがいて、彼女自身も歌う人なんですけど、「Hey Kid」という彼女の歌を私が歌って。その彼女に「この曲大好き! こっちでヒットだよ」って言われて、ごく単純に喜んじゃったという(笑)。

田家:ヒット曲っぽいポップな曲ですもんね。

八神:その頃のアメリカ、特に西海岸に合っていたかなと。なんとなくカントリーっぽいんですよ。

田家:オリビア・ニュートンジョンとか歌いそうですもんね(笑)。

八神:そうそうそう! 私ちょっとこのカントリーな感じのところが好きじゃなかったんです、これ。

田家:あ、当時は好きじゃなかったんだ。

八神:もうその一言でコロッと変わりました(笑)。

田家:そりゃそうですよね(笑)。

八神:単純にフレイニーが褒めてくれるんだったらなんて思って。

田家:これはまさに逆輸入で日本に入ってくるタイプの曲になるかもしれませんね。

八神:そうですねー。

田家:今日最後のテーマがありまして「あらためて知ってほしい曲」。90年代半ばくらいから何をやっているんだろうなという状態になって、さっき話に出た向こうでいろいろな人たちのコーラスに参加したりしていた。そういう中であらためて知ってほしい曲として選ばれたのがこの曲なんですね。Rhythm Logicの「Drunk on Love」で、Rhythm Logicはロサンゼルスのナンバー1ドラマー、マイケル・ホワイトのスーパーバンドで、モーリス・ホワイトのいとこだった。

八神:そうなんです。彼は私にリズムを教えてくれた人でした。ツアーも日本に一緒に来ているんですよ。

田家:純子さんが80年代半ばぐらいかな。「私はドラムを聴いて歌うタイプのシンガーじゃなかったんだ」と言われたことがありましたね。

八神:うん、もうこれで全然変わりましたね。というか、バーブラ・ストライサンドでしたから私のアイドルは。ですから、バックが何をしてようがずっと声が伸びていたりするわけです。でも、それをやっていると結局グルーヴができないんですね。グルーヴを作り出すためにはどこで声を落とし、どこで声を引き上げるか。それだけなんです。マイケル・ホワイトと仕事をしている間にそれをすごく教えてもらって、「そこはそんなに伸ばしちゃダメ」って言われて、厳しい人なんですよね。

田家:で、マイケル・ホワイトさんはこのレコーディングで純子さんが参加したときのことを「彼女は完璧でした、リードボーカルとコーラスを1時間ぐらいで録音したんだ」と。

八神:いやーとにかくリズムの師匠に「アルバムで歌ってみる?」って言われたとき、「え! あれだけ文句をいっぱい言われたのに呼んでくれるの!?」と思って、すごくうれしくてむちゃくちゃ練習しました。

田家:練習して行ったから、1時間で終えられた。

八神:そうなんです。

田家:彼の話の中に「彼女のアルバムのリズムトラックは僕のスタジオでレコーディングしたんだ」というコメントがあって、彼女のアルバムは何だったんだろうと思ったのですが、純子さんのアルバム?

八神:そうです、そうです。その頃は自分のスタジオワーク、アルバム作りは結構主流になっていて、アミーゴスタジオという大きなスタジオも経営していたんです。

田家:スタジオを経営されていたんだ。

八神:そうだったんです。でも、ちょうど音楽が変わっていくところで、そこの経営に失敗しました(笑)。

田家:失敗したんですか(笑)。

八神:そう、今だから言えるんですけど、大きなスタジオがいらなくなっていったんですよ。ですからボビー・コールドウェルがそのスタジオの小さな一室を借りて曲を作ったり、レコーディングしたり。あとは、ジョン・レノンの息子、ショーン・レノンが私のスタジオの一室を借りて音楽を作っていたり。

田家:なるほどねー。もう本当にロサンゼルスの音楽シーンにどっぷりと言いますか、ロサンゼルスの音楽シーンそのものだった時期があるということですね。で、あらためて知ってほしい曲、Rhythm Logicの「Drunk on Love」これはバーシアの1994年ヒット曲カバーです。



田家:たしかにこういう形で紹介しないと、洋楽ファンの中にも知らない人が多いでしょうからね。

八神:そうですね。これは私がすごく勉強にもなったし、マイケルが「1、2、3、4 でとらないで歌ってごらん」って言って、「1…… 2…… 3…… 4……」2拍に1回ぐらいの数え方で歌ってごらんって言われて、「えー!」なんて思って。そんなアプローチを日本で教えてくれる人いなかったし、それを今思い出しました。

田家:この曲は2000年なわけですけども、この後に2001年の9.11があるわけでしょ。そのときのことは今の純子さんの中でどういう経験になっているんですか?

八神:全てがストップしてしまった出来事でしたから、9.11の直後に決まっていたんですけども怖くて移動もできなくなっちゃいました。ですから、そこから活動休止ということで。

田家:全くもう日本には何の情報も入ってこなくなった。

八神:はい。次の瞬間何があるか分からないということで、窓を閉めきってしまったようなときが始まりましたね。

田家:で、10年後に日本での活動を再開されるわけで、この話は来週ということになります。アメリカでのいろいろな経験があっての今回の受賞、やっぱり特別なものがありますね。

八神:ありがとうございます! 潔く捨てるものがあって、そしてこの賞に繋がっているだなとつくづく思っています。

田家:あらためておめでとうございます。来週もよろしくお願いします。

八神:ありがとうございます、よろしくお願いします!


左から八神純子、田家秀樹

Rolling Stone Japan 編集部

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