idomが語る人生観と音楽ルーツ、「GLOW」で描く今の自分を肯定すること

―小中学生の頃はどんな子供だったんですか?

idom:周りとはあんまり趣味とか価値観が合いづらいところもあって、中学のときはちょっといじめられたこともありました。テレビ番組とか、みんなが好きなものに僕はあんまり興味がなくて、共通の話題がなかったんですよね。音楽に関しても、母親がいろんな音楽を聴かせてくれたんですけど、洋楽ばっかりだったから、逆に同年代の子たちが聴いてるのはわからなくて。まあ、そこまで気にしてはいなかったですけど、休み時間は陰に隠れて音楽プレイヤーを聴いてるみたいな子供でした。

―だからこそ、絵を描いたりもの作りをすることによりのめり込んでいったのかもしれないですね。イタリアのデザイナー事務所に就職することになったのは、どんな経緯だったんですか?

idom:当時はいろんな会社にインターンに行ったりして、日本にも面白いなと思う会社はたくさんあったんです。ただ、僕は家具が好きで、家具のデザインをしたいと思ったときに、日本だとどうしても市場が限られていて。そうしたなかで、年の離れた大学の先輩にイタリアで働いてる人がいて、「こっち来たら?」って、紹介してもらえたんです。イタリアはミラノサローネっていう一年に一回の家具のコレクションがあったり、デザインの最先端が集まる場所なので、そこに身を置けたらいい経験になるだろうなって。

―ただ、新型コロナウィルスの影響で就職を断念せざるを得なくなってしまった。

idom:最初は「一年くらい待てば行けるかな」みたいに思ってたんですけど、周りがみんな社会人として進んでいくなかで、自分はどうしたらいいのかわからなくて、不安ではありました。でも、そんなに焦る感じでもなかったんですよね。前までの自分だったら、そこですごい落ち込んでたと思うんですけど、当時はいろんな経験を経て、「ダメだったら何か新しいチャレンジをしよう」みたいに思えるようになっていたので。

―というと、それ以前に挫折を乗り越えるような経験をしてきた?

idom:それまであんまりよくない状況を経験することが多かったんです。学校でいじめられたときも辛かったし、もともとあんまり裕福な家庭ではなかったり、あとは病気をして大きい手術をしたり、そういうこけちゃうタイミングが何回もあって、昔はそのたびにすごく落ち込んでたんです。ただ、そんなときでも助けてくれる友達や家族がいたおかげで、「こんな落ち込んでられんな」と思うようになって。なので、イタリアに行けなくなったときも、「きっと大丈夫」って、強くあろうとはしてましたね。

―イタリア行きを断念して、そこから初めて音楽制作を始めたそうですが、つまりはそれも「落ち込んでないで、何か物事を前に進めよう」という想いの表れだったと。

idom:そうですね。音楽を聴くのはずっと好きだったけど、自分でやろうと思ったことは一切なくて、でも全然やったことがないことに挑戦するのがいいと思ったんです。「前に進まなきゃ」と思いつつ、それでもまだ足取りは重いなかで、やったことがないことを一から始めるのはすごいパワーが必要で、時間がどんどん過ぎていくから、それが自分にとっては大事だったというか、心を癒す時間にもなっていて。あとは、周りに音楽をやってる友達がいて、そういう仲間とのコミュニケーションツールでもあったんですよね。

―じゃあ、そういう友達からDTMを教わったわけですか?

idom:いや、ほとんど自己流です(笑)。音楽をやってる知り合いと遊んでたときに、「やってみたら?」って言われて、その場のノリでDAWソフトを買って、「お互い朝までに一曲作ろうぜ」みたいな流れになったんですよ。もちろん、買ったばっかりだったから、「何から始めたらええの?」って感じで、見よう見まねでドラムを打ったりしたんですけど、できたのを朝聴かせたら、「お前結構才能あるぞ」みたいに言われて。その曲が今YouTubeに上がってる一本目の動画なんです。

Rolling Stone Japan 編集部

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