大江千里が今だから語りたいマイ・ソング、デビューから87年までを本人と振り返る



田家:大江さんが選ばれた今日の3曲目、「君と生きたい」。1986年10月に出たシングルでした。

大江:もう渾身の一作で。アマチュアの頃から「俺はプロになってすぐ売れる」って大きな夢を抱えてやってきて。ただ、『乳房』まで出して頭打ちになって、「そんな生易しいもんじゃないぞ」って思ったんです。ちょっと時間もらって、もう1回人間として1からご飯を作って、詞を書いて、アーティストとして蘇生しようって思いで詩を書き出したんですよ。ある日「いい加減に1曲形にしなきゃまずいぞ」って思い、できたのがこの曲。痛みを持って苦しんでる人を抱きしめるっていうか。真面目であることを恥じることはないし、そういう人がこれを聞いてキャッチしてくれたらなと。真面目なことを責めないで、本当に孤独は始まったばかりなんだからっていう思いの丈をメロディに乗っけて作りました。作り終わった時には倒れ込んでしまうぐらいエネルギーを出し切った曲ですね。

田家:今日はアルバムの曲順にとらわれずに千里さんに選んで頂いているわけですが、「ふたつの宿題」が3曲目で、4曲目「Boys & Girls」 、5曲目「ロマンス」、6曲目「十人十色」、7曲目「リアル」、8曲目「フレンド」、9曲目「コスモポリタン」という順番に続いて「君と生きたい」があるわけで。色んな喜びも苦しみも、今挙げた4曲目から9曲目までに詰まっているということなんですよね。

大江:あまりに時間が早く進んでいく中で、自分では受け止めてやってきたつもりではいたんだけど立ち止まってしまって。そんなタイミングでこの曲が生まれた。「AVEC」「去りゆく青春」「マリアじゃない」ができて、誰とやろうっていう時に大村雅朗さんとしゃぶ禅に行って2人で音楽の話を延々としたのが楽しすぎて。大村さんの優しさ、気遣い、繊細さ、本当に僕の話をよく受け止めてくれて。「大村さん4曲書いたので聞いてください」って言ってすぐ打ち合わせに入って。最初の曲が「マリアじゃない」と「君と生きたい」でした。

田家:さっき話に出た林真理子さんたちと一緒に、原宿で最新ファッションの中にいて楽しいと思ってた時期が終わって、ここに来てるんですね。

大江:林さんも本を書いたり連載が始まったりして。僕も『未成年』でオリコン5位になって一気に忙しくなって。でも心がまだアマチュアのままでした。『OLYMPIC』を作った時に自分で作ったコピーが “永遠のアマチュアリズム” みたいなことで。でも周りから求められるクオリティには全然たどり着けなくて。奥沢から東急線に乗って渋谷まで出る時にずっと吊革に捕まって景色を眺めて、途中の駅で降りて、膝に紙を置いて、鉛筆で中目黒の景色とかを言葉で書いてましたね。連結で喧嘩をしてたこと。つり革を掴まろうとした拍子に誰かの手を握ってしまったこととか。そういう細かい描写をいくつも書いてそれをノートに糊で貼って。また「よし今日書こう」と思って無作為にページを開いたら「連結で親父と偶然会ったのに二言しか喋らなかった」みたいな言葉が出てきたり。そういう風に私小説っぽいフィルターを通して、新たな物語の作り方みたいなものを覚えていきましたね。

Rolling Stone Japan 編集部

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