大江千里が今だから語りたいマイ・ソング、デビューから87年までを本人と振り返る



田家:アルバムは1985年12月に出た4枚目の『乳房』。その中からのシングルカット。86年に出たシングル「コスモポリタン」。

大江:初めての外国で、フィリピンのプエルトアズールに行った時に、コーディネーションをやって下さった日本人の女性と僕の間にあった出来事から着想を得ました。「彼女はきっとこう思ってるんじゃないだろうか」とモデルにして。フィリピンだったり近いアジアの国には自分の知らない部分があった。同じこの地球という大地の上で踏ん張ってこれから生きていく中で、どういう感覚を持って生きていくのかって疑問を素直に彼女を通して歌にしました。

田家:80年代の半ばの日本の浮かれてる空気とは全く違うものがそこにあったということですね。

大江:なんか時代はキラキラしていて。僕もそういうのも大好きではあるんだけど、曲を書いてると、もっと違うところに自分たちは向かっている意識が強かったですよね。

田家:アジアと世界を意識させられた経験にもなっていると。

大江:はい。今自分がアジア人として異国で生きていて、最近のアジアンヘイトとかを感じることもありますし、全ての人種がごちゃ混ぜにいるニューヨークという場所で「コスモポリタン」を改めて聞くとあの時に書いた気持ちを思い出します。これから曲を作ったり表現したりする時に、何を訴えかけて伝えようとしてるのかを自己問答して聞いたりしていますね。

田家:そういうこともあって、 DISC1の紹介の最後の曲をこれで終えたということですね。来週は80年代後半から平成に向かっていくわけですが、どんな週になりそうですかね。

大江:もっとはっちゃけそうだし、色んなことありましたからね。でも包み隠さずお話したいことがありますので楽しみです。

田家:新しい発見が沢山ありました。来週もよろしくお願いします。


左から田家秀樹、大江千里

Rolling Stone Japan 編集部

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