yutoriが語るモラトリアム、今だからこそ歌えた「青い春の音」

内田:僕は小学校、中学校でずっとサッカーをやっていたので、あまり音楽を聴いてこなかったんです。中学3年で部活を引退してから、ボーカロイドをきっかけに音楽が好きになりました。

ーボーカロイドはどなたを聴いていたんですか?

内田:ボカロPさんで言うと40mPさん、まくらさんとか、歌い手さんだと伊東歌詞太郎さんがすごく好きだったので、そのへんをすごく聴いてました。そこから高校に入って1年生の時に足を怪我してサッカーができなくなりました。

ーサッカー少年にとって、足の怪我は絶望的ですよね。

内田:実は、いつ辞めようか探っているタイミングではあったんです。だから、いいきっかけだと思って退部しました。その後、クラスの友達に「暇そうだし、軽音楽部に入ってよ」と誘われたんです(笑)。

ーギターを手にするきっかけは?

内田:僕を部活に誘った子が軽音楽部でボーカルをやっていて「ギターの子が辞めちゃって。見た目的にギター弾けそうだからやってよ」と。「ギターを貸してくれるならやってもいいよ」と言ったら、次の日、本当に持って来ちゃったんです(笑)。自分で言ったからにはやるしかない、と思ってギターを担当することになりました。初めて演奏したのはKANA-BOONさんの「ないものねだり」。「1週間で完コピしてきて」と言われて、必死に練習していたんですけど、ギターソロが難しすぎて「無理だなこれ」と思って泣きました(笑)。そんなこんなで今もギターを弾いています。

浦山蓮(以下、蓮):僕は両親が音楽好きなんです。母親はバンドがめちゃくちゃ好きで、実家の車でよくRADWIMPSさんを流していたり、父親はRIPSLYMEさんとか流行りの曲をよく聴いていたりして、その影響で僕も小さい頃から音楽が好きでした。バンドに興味を持ち始めたのは小学校6年の時。親にTSUTAYAへ連れて行ってもらって「あなたも好きなCDを借りたら?」と言われたんですけど当時はバンドに詳しくないから、カッコいいジャケットを手に取って。それを家で聴いてみたら「やべえ! めっちゃいい」とビックリしました。それがゲスの極み乙女さんでした。そこからバンドにのめり込んでいきました。

ー音楽をやるようになったきっかけは?

:小学校3年から中学校までバスケをやっていたんですけど、高校に進学するタイミングで「もう走りたくないし、バスケは辞めよう」と思いまして(笑)。ただ、帰宅部だと高校生活のスタートダッシュで失敗しかねないじゃないですか。

―はいはい、友達も作りにくいですしね。

:そうなんですよ。運動部以外で入っておかなきゃと思ったんですけど、絵は描けないし料理も違うしなと悩んでいた時、軽音だったら楽しそうだなって。それ以上に軽音って高校のド定番みたいなところがあるし、モテるんじゃないかなって淡い期待を抱いて入りました(笑)。ドラムを選んだのは、ほないこかさんを見てめっちゃかっこいいと思ったのがきっかけです。

Rolling Stone Japan 編集部

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