ミック・マーズが愛憎のバンド人生を語る、さらばモトリー・クルー 

メイクは「醜い老女みたいだった」

1951年5月4日生まれのマーズは、ほかのメンバーよりも一回り年上だ。彼らがキッスやニューヨーク・ドールズなどのきらびやかなバンドを崇めていたのに対し、マーズはテン・イヤーズ・アフターやバッド・カンパニーのようなブルースバンドが好きだった。「1970年代には、優れた音楽がたくさんあった」とマーズは言う。「俺もあの時代に成功できればよかった。そのほうが時代に合っていたのに。チャンスを逃してしまった」

チャンスが訪れたのは、ようやく29歳になってからのことだった。金もなく、3人の子供を抱えて毎日を必死に生きていたマーズは、「音がデカくて、無作法で、攻撃的なギタリスト」と豪語したメンバー募集広告を機に、のちにモトリー・クルーのメンバーとなる仲間たちと出会った。その数カ月後には、派手な演出のライブやタイトなレザーパンツなどのファッション、ヘアスプレー、マスカラ、口紅を使った派手なルックスによってLAメタルシーンの最注目バンドへと成長した。「メイクはしたけど、好きだと思ったことは一度もない」とマーズはため息をもらす。「醜い老女みたいだった」

マーズは、いつから痛みを感じるようになったのかを覚えていない。14歳の頃だっただろうか。最初は、尾骨の上のほうに鋭い痛みを感じる程度だった。だが、その数年後にロサンゼルス界隈のナイトクラブでライブをするようになると、痛みは全身に広がっていた。「痛みを説明するのに友達に『胃に穴が空いて胃酸が漏れ出し、体内を焼いているみたいに腰が痛い』と言ったのを覚えている」と振り返る。「あまりに痛いので、ドアノブを握って友達に『俺の体を思いっきり引っ張ってくれ』って頼んだくらいだ。それでも良くなるどころか、腰痛はひどくなるばかりだった。背中が曲がりはじめた。実年齢よりも老けて見えるようになってしまった」

27歳の時に強直性脊椎炎と診断された。「あの時は『スゲーな、俺はいつかこれで死ぬのか』と思った。実際、強直性脊椎炎は死ぬほど辛いけど、命にかかわる病気ではないんだ。強直性脊椎炎が手足にまで影響を及ぼすことは稀だ。要するに、ギターは弾ける。俺にとっては、それがすべてだった」

米インディアナ州テレホート出身のロバート・アラン・ディール(マーズの本名)にとっては、ギターを弾くことがすべてだった。3歳の時に地元のお祭りでスキーター・ボンドというカントリーシンガーが歌うのをピクニックテーブルの上に立って見て以来、マーズは音楽に夢中だった。「スキーター・ボンドは、スパンコールだらけのオレンジの衣装を着て、白くて大きなステットソンの帽子を被っていた」と回想する。「あんなふうになりたい。俺もミュージシャンになるんだと思った」

Translated by Shoko Natori

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE