ミック・マーズが愛憎のバンド人生を語る、さらばモトリー・クルー 

「カビのせいで衰弱し、妄想にとりつかれるようになった」

1997年にニールが復帰し、不本意ながらも再結成が実現すると、バンドは『Generation Swine』のレコーディングに取りかかった。だが、マーズの主張によると、彼はこの時点から意思決定の場から閉め出されていたそうだ。復帰後も数カ月間はバンドと一緒にいたコラビも、マーズの主張を裏打ちしている。「あいつらは、ミックに対する敬意を欠いていた」とコラビは言う。「ミックのことを不機嫌な老人ぐらいにしか思っていなかった。(ニッキーとトミーは)ミックの金のことや付き合った女の子たちの悪口を言っていた。ミックは、20年以上もこんなことに付き合わされてきたんだ」



私は、マーズにインタビューを行った2日の間に『Generation Swine』という単語が10回ほど登場したことに気づいた。ほとんどは、マーズの口をついて出てきたものだ。25年以上も前のことだというのに、いまだに生々しいトラウマに囚われているようだ。「俺は、一音も弾いていないと思う」と表情を曇らせる。「俺のギターの音が気に食わなかったんだ。あいつらは、ギターじゃなくてシンセサイザーのような音にしたかったんだ。自分の無力さを痛感したよ。自分のパートを弾いても、それが消される。挙げ句の果てには、別人が弾いていた」

『Generation Swine』の数年後、メンバーは『New Tattoo』のレコーディングのためにスタジオに再集結した。ドラムは、リーに代わってランディ・カスティロが担当した。マーズは、その時に参加を拒まれたと主張する。「俺は呼ばれなかったから、一曲も書いていない」とマーズは言う。「アルバム全体を通して、弾かせてもらえたのは一回だけだった」(これについてシックスは次のように反論した。「あのアルバムでミックは、リードギターとリズムギター、その他の全ギターパートを担当している。おまけにミックは、かなりクールなリフをいくつか書いてきた。でも彼はソングライターではない。それに、当時の健康状態のことも忘れてはいけない。あの頃のミックは、重度の麻酔中毒だった」)。

2008年にリリースされたアルバムで、現時点でモトリー・クルーの最新作である『Saints of Los Angeles』に関しては、マーズが手がけるべきパートのほとんどをDJアシュバが担当したことをマーズとシックスの両方が認めている。これについてシックスは、選択肢がなかったと語った。「ミックは、自分のパートをなかなか弾けずに苦労していた。だから、DJアシュバとミックのサウンドをミックスした。もちろん、俺たちはいつでもミックを立てるつもりだった。でも、彼は自分のパートを弾くこともできなければ、ろくに覚えてもいなかったんだ」

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの数日後、マーズは人生のどん底にいた。バンドは活動休止期間を延長し、マーズはカリフォルニア州マリブの自宅に引きこもった。アルコールを過剰に摂取しては、強直性脊椎炎の痛みを和らげるために鎮痛剤を1日45錠飲んでいたが、それがオキシコンチンからバイコディン、そしてついには致死量ギリギリの麻薬性鎮痛薬に代った。さらに悪いことに、カビが家中に繁殖し、ミックの健康を脅かした。ツアーやレコーディングという仕事もないので、マーズはほとんど外出しなかった。カビのせいで衰弱し、妄想にとりつかれるようになったと語った。

「ベッドの足元に巨大な爬虫類のようなエイリアンがいるのを何度も見た。毛むくじゃらのエイリアンもいた。夜になると、猫人間が忍び込んでくるんだ。子供の頃に母親から聞かされて恐怖を覚えたモンスターだ。不幸中の幸いだが、自分が幻覚を見ていることに気づけた。一生気づかない人もいるんだ。そういう人たちは、窓から飛び降りてしまう」

2005年の再結成ツアーの直前にマーズは自宅を出、人工股関節置換術を受けた。「俺の家で暮らすことになった」とシックスは言う。「医者にも連れて行ったし、ひどい時はスプーンを使って一口ずつメシも食わせてやった」

マーズは、カビのない新しい住まいとギャラのいいツアーのおかげで復活を遂げた。それどころか、モトリー・クルーのメンバーとして久しぶりに楽しい時間を過ごした。Carnival of Sinsと銘打ったツアーは、マーズがお気に入りのピエロ風のメイクをする格好のチャンスだった。「ピエロみたいなメイクをして楽しんだ」と振り返る。「心の底から自由を感じたよ」

Translated by Shoko Natori

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