ミック・マーズが愛憎のバンド人生を語る、さらばモトリー・クルー 

『Dr.Feelgood』の成功とマーズの後悔

モトリー・クルーの絶頂期においても、マーズの財政状況は安定とは程遠いものだった。「確かに、札束が転がり込んできた」とマーズは認める。「でも俺は2回結婚して、3人と関係が破綻していた。1人はバンド結成前のガールフレンドで、もう1人は最初の妻。もう1人が2人目の妻だ。彼女らが俺の銀行口座を空にしてしまった。俺は家と車、持っていたギターを手放した。すべてを失ったんだ」

『Dr.Feelgood』(1989年)期にバンドはヒットシングル5作を世に放ち、スターダムを駆け上がった。それでもマーズが苦い気持ちでこの時代を振り返ることには理由がある。「俺たちは、少なくともあと4年半はツアーができた」とマーズは言う。「でも、実際のツアー期間は9カ月だった。『これ以上は無理だ! 体調不良のメンバーがいることにしよう』と言わざるを得ない状況だった。でも、実際ツアーが中断されるとがっかりした」





これについてシックスは、呆れた表情を浮かべた。「体調不良のメンバーなんていなかった」と反論する。「俺たちはみんなクリーンでシラフだった。『Dr.Feelgood』を引っ提げて長期間ツアーを行った。ツアーをやめるという判断も適切だった。こんなことは俺たちメンバーも知らないし、マネージャーも聞かされていない。どうしてミックは、思っていることを俺たちに話してくれないんだろう?」

マーズとしては、3人との対立を避けたいという強い思いがあったそうだ。それに加えて、ステージ以外でメンバーと関わることもなかった。これについてマーズは、1989年以来、シックスは自宅に来ていないと言う。「俺の家に来たのは、多くて2〜3回だろう」と明かした。「トミーは一度だけ来たことがある。ヴィンスも一度だけだ。俺の家から目と鼻の先のベニスビーチに住んでいたのに。でも、これが俺たちの働き方だった」


(左から)シックス、コラビ、マーズ、リー。1994年に撮影。DAVE BENETT/GETTY IMAGES

現在マーズが住んでいる約1100平方メートルの豪邸内を歩いてみると、マーズがモトリー・クルーのメンバーとしての功績を誇りに思っていない、などとは微塵も感じられない。壁には、ゴールドディスクや1980年代のライブのポスター、さらには1989年10月21日付の全米アルバムチャート「ビルボード200」のコピーが額装され、掛けられているのだ。1989年10月21日は、『Dr.Feelgood』が1位に輝いた日だ。



モトリー・クルーの黄金時代だった。それから数年後、グランジがメインストリームの音楽シーンを席巻した。ニールがバンドを去った。1994年にリリースしたアルバム『Mötley Crüe』を引っ提げて後任のジョン・コラビとツアーを回った頃には、バンドの人気は地に落ちていた。「ハコの規模もアリーナから1200人規模のナイトクラブに縮小された。ステージに行くまで観客の間を歩いていかなければいけないような会場だった」とマーズは振り返る。「俺たちは、史上最高のレコードを作ったと思っていた。もちろん、裏切られた気分だった。時間をかけて『Dr.Feelgood』のツアーをやっていれば、こんな気持ちにはならなかっただろう」



Translated by Shoko Natori

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