moonridersの多面体と多様性、鈴木慶一の自薦曲で1984年から1996年を辿る



鈴木:これはシングルだったんですね。TVCMとのタイアップになって、化粧品のCMですけど岡田くんが作った短い曲だったんです。野宮真貴さんに歌っていただいて、アルバムにするときに拡張したということですね。

田家:これはシングルだから選ばれた?

鈴木:そうですね。『AMATEUR ACADEMY』というアルバムは、長い歴史の中で唯一プロデューサーがいたアルバムなんです。

田家:外部のプロデューサーを起用した。

鈴木:レコード会社のディレクターが宮田茂樹さんで、そして彼がプロデューサーを名乗り出たので、やってみようかと。

田家:あ、彼の方から名乗り出た?

鈴木:そうです。やらせてくれって言うのも変ですけど、やろうよと。プロデューサーは全員に対して話をするのは大変なんです。私がプロデューサーをやったときには、まずバンドのスポークスマンを見つける。その人と話して、みんなに伝えてもらうと。それはハルメンズのときもそうだし、PANTA & HALのときもそうです。この『AMATEUR ACADEMY』は白井良明が窓口になったんですね。だから、宮田さんと白井良明のやり取りの中で我々は曲を作って、アレンジを白井がやっていく。

田家:良明さんを窓口にしたのは宮田さんの希望なんですか? 慶一さんのアイディア?

鈴木:宮田さんの希望だった気がしますね。良明がこのときいろいろなプロデュースをしていて、非常に勢いがあったこともあると思いますよ。宮田さん、事務所、我々。全ての合意だったと思います。

田家:宮田さんはMIDIレコードを作られた方で、大貫妙子さんとか坂本龍一さんとか、YMO関係の方たちのアーティストを手掛けている名プロデューサーですけど、宮田さんとそれまでお付き合いはどれくらいあったんですか?

鈴木:なかったですね。鈴木さえ子さんのアルバムを作るときに宮田さんと出会う、それで1枚作る。その流れでmoonridersも宮田さんでお願いしようかなと。

田家:曲のタイトルがアルファベットと数字だった。これも1つのコンセプトだったのかなと思いましたけど。

鈴木:タイトルを全部記号化しようということですね。「M.I.J.」はMADE IN JAPANです。

田家:あーなるほど、そういうタイトルを。

鈴木:全部省略形です。

田家:「Y.B.J.」、「B TO F」、「B.B.L.B.」(笑)。

鈴木:はい。自分でも分からなくなります。「B TO F」はBACK TO THE FORESTかな。

田家:その中に「30」っていうのがありましたね。

鈴木:たまには数字を入れようと(笑)。この「30」も私は名曲だと思っています。要するに「30」になる直前の3分間の話ですから。

田家:この後にそういう話が出てきますねー。記号化っていうところにきっと意味を見出したんでしょうね。

鈴木:そうやってタイトルをつけていって、アルバムタイトルをどうしようかということで。宮田さんは音楽理論に長けていて、我々はそうでもない。

田家:そうでもないわけないでしょ(笑)。

鈴木:我々はコーラスを作るときに思いつきで作りますから、宮田さんはちゃんと譜面で作ります。そういった意味で。最初は『AMATEUR 三等兵』っていうタイトルだった。なんかロボット三等兵みたいでいいなあって。で、AMATEURの反対語だったんだろうね、アカデミズムは。宮田さんはアカデミックだし、我々はアマチュアということで、『AMATEUR ACADEMY』にしようと。

田家:『AMATEUR 三等兵』だとまた違うイメージだったかもしれません(笑)。10曲目になります、またレコード会社が変わります。1985年10月発売、9枚目のアルバム『ANIMAL INDEX』から「夢が見れる機械が欲しい」。

Rolling Stone Japan 編集部

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