米マンション崩落事故、母を失った「奇跡の生存者」と父の再出発【長文ルポ】

1年間の交渉と悲しみの末に

2022年の1月、ニールさんは何度も息子の部屋に入っては、寝ている息子を叩き起こし、ベッドから引きずりおろした。それでも、ジョナさんは枕にしがみついていた。だが、5月の第1土曜日、睡眠にかかわるジョナさんの脳の部位の体積が50%減少していることが明らかになった。PATHWAVESのセッション開始以来、全体的な数値も1/3減少している。「よくなってるんだ」と言ってジョナさんはスマホを置いた。学年度が終わろうとしていた。工学の成績はAだが、自身の治療に関してはCだと言う。「だって、まだまだ辛いですから」とジョナさんは認める。「時と状況にもよります。前ほど音にびっくりすることはなくなりました。建物の騒音とかは、もう大丈夫です。でも、雷の音はダメです」

フロリダ州にふたたび雨季が巡ってきた。それとともに、午後の心地よい日差しももどった。下の階にダッシュせず、ゲーム用のデスクに座ったまま、ヘッドホンのボリュームを上げて雷の音をやり過ごせるようになったことに対し、ジョナさんは手応えを感じている。ある日、「近所で一緒にメシでも食わないか?」と父親に誘われると、ジョナさんはひとりで新車のマスタングを運転してレストランに向かった。窯焼きピザは最高だったが、夜遅くの雨のせいで、また体が固まってしまった。

「大丈夫か?」

大丈夫ではなかった。「高層マンションは嫌だ」と言って、ジョナさんは帰宅を拒んだ。そう言うと、家族ぐるみで付き合いのある友人宅まで車で行った。その家族は、通りの先の平家で暮らしている。

それ以来、ニールさんは2時間以上家を空けないようにした。日曜日の朝、息子の部屋のドアを小さくノックする。天気予報によると、その日の降水確率は30%。にわか雨の可能性あり。5月8日、母の日だ。

「大丈夫か?」

ジョナさんは大丈夫。いまは、もう少し寝たいだけだ。

「典型的な16歳のティーンエイジャーですよ」と言うと、ニールさんはビーチでのんびりするため、部屋をあとにした。“あの出来事”の前日の朝、前妻に電話をした時のことを思い出す。次の父の日、ジョナさんはジュピターで暮らすステイシーさんのきょうだいのところから何時くらいに帰ってくるのかを訊くために電話をかけたのだ。ジョナさんは、ミッチおじさんの家にもう一泊してプールで遊びたいと言ったが、ステイシーさんは学校を休ませたくなかった。ニールさんも、夏の間は、野球の練習の合間にアイスキャンディーを売るバイトをするようにとジョナさんに勧めていた。だが、本当は、普通のティーンエイジャーというものをようやく理解できたことを伝えるためにステイシーさんに電話をしたのだ。15歳だった頃、ニールさんもクラブに通ったり、無断で両親の車を運転したりした(しかも無免許で)。ジョナさんがニールさんを困らせた時は、プレステをしすぎた時やYouTubeでホームラン動画を見て徹夜した時くらいだ。「つまり、俺が言いたいのは——」と、電話の向こうのステイシーさんに言ったことを覚えている。「干渉しないってことなんだよな。あいつをひとりにしてやらないといけない。若者らしくいられるように」

ジョナさんとニールさんは、しばしば母親の存在を感じる。母親は、ある時はペリカンになって釣り船からなかなか動こうとしなかった。別の時は、ハトになって自宅のバルコニーに居座った。「ナゲキバト」——ジョナさんは、鳥の名前をインターネットで検索して初めて知った。その前の夜、ある友人から、「昨日、ステイシーにばったり会う夢を見たの。夢のなかで、あなたのことを探してたよ」と言われたばかりだった。ステイシーさんを失ってから初めて迎える母の日。ここサーフサイドで、ニールさんはチェーンを張り巡らされた88thストリートのほうを見つめる。砂浜を歩く女性のなかに、ステイシーさんの姿を探す。長い脚、日に焼けたブロンドの髪、ステイシーさんのお気に入りのベースボールキャップ。ニールさんは、エレベーターに乗って帰宅する。ゲームに夢中の息子の邪魔はしない。「少しぼんやりしていて、悲しそうに見えました」と話す。「でも、泣いてはいませんでした」。そして、息子を元気づけようとしてジョークを飛ばした。「おい、パパに母の日のメッセージカードはないのか?」

それから2日後の夜、ローゼン氏から着信があった。

「どうも」とニールさんが電話に出る。「何かニュースでもあるんですか?」

「ありますとも。最初の文字はBです」とローゼン氏が言った。

「B?」

「そう、Bです」

1年間の交渉と悲しみの末に、サーフサイドのマンションの98人の犠牲者遺族に賠償金として総額10億2000万ドル(1.02 billion,約1400億円)が支払われることが決まったのだ。6月23日、マイアミ・デイド郡の州地裁の判事がこの和解案を承認した。セキュリタスは、5億1750万ドル(約707億円)の支払いに合意した。遺族に支払われる補償としては前代未聞の金額であると同時に、ローゼン氏の法律事務所によると、和解金としてもアメリカ史上類を見ない金額だ。「警備会社相手の訴訟において、ジョナさんはパズルを完成させるためのもっとも重要なピースのひとつでした」とローゼン氏は話す。「昨年のジョナさんの映像は、生存者がいるというわずかな希望を私たちに与えてくれました。そしていま、今回の訴訟は責任と正義という結果をもたらしました。これは、さらに多くの人に希望を与えてくれるでしょう。希望というものは、いくらあっても多すぎることはないのですから」

ジョナさんは、今年起きたすべてのことには理由があるといまも信じている。答えは、これからの人生をかけて見つけていけばいい。その一方、事故の夜のことは思い出したくないとも言う。「もう嫌なんです」とジョナさんは言う。「本当の意味で、僕の人生を決定づけたわけではありませんから」。それと同時に、コリンズ・アベニューのマンションからは引っ越したいとも思っている。すべてがひと段落すれば、ハンドラー親子はできるだけ早くサーフサイド・ビーチのマンションを引き払う予定だ。息子に日焼け止めクリームを塗って「過保護過ぎる」とステイシーさんがまた叱ってくれるなら、ニールさんは何だってするだろう。だが、とりあえずは、賠償金を安全なトラストに預けておくつもりだ。それに、息子を説得して夏の間はバイトをさせることにした。考えられないことかもしれないが、ハンドラー親子は、がれきの下から救出された奇跡の生存者としての息子の知名度を楽しんでいる。少なくとも、マイアミ・デザイン・ディストリクトのフードトラックで、オレオ入りのおしゃれなアイスキャンディーを売っているいまだけは。

from Rolling Stone US

Translated by Shoko Natori

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