米マンション崩落事故、母を失った「奇跡の生存者」と父の再出発【長文ルポ】

車のセールスマンから慈善活動家への転身

ジョナさんが“あの出来事”振りに野球場を訪れたのは、2021年10月のことだった。マイアミ・マーリンズの始球式に招待されたのだ。ニールさんは、場内アナウンサーが息子を「ミラクル・ボーイ」と紹介することを却下した。3月中旬の土曜日の朝、野球場に向かう車のなかでジョナさんは父親に「ドナルド・トランプが僕のことを話してた」と言った。トランプ前大統領は、ポッドキャスト番組でフロリダのマンション崩落事故の負傷者2人にメディアが注目しすぎていることに言及したのだ。「建物の構造上の問題なのか、サビによるものかどうかはわからないが」、世界にはもっと苦しんでいる人が大勢いる——ウクライナで行われている「もっと大きな建物」の倒壊と比べたらこんなものは何でもないと、トランプ氏は述べた。その日も、約60キロ先でトランプ氏の集会が行われていた。それでもニールさんは、「ローンデポ・パークのイベントに参加しないか?」とジョナさんを誘った。野球の試合ではなく、マイアミ・デイド郡消防署のレスキュー隊の毎年恒例のメダル授与式が行われるのだ。これはイベントというよりも、彼らにとっては家族行事のようなものだ。

本塁の後ろのシートに腰を下ろすと、ジョナさんは両脚を揺すりはじめた。「崩落」という言葉を聞くと左手をぴくりと動かし、手首に巻かれたリストバンドをいじった。爪だけでなく、拳も噛む。ニールさんがウェーブをはじめようとすると、大スクリーンに事故の犠牲者の名前が次々と浮かんだ。心を落ち着かせるため、ジョナさんはスマホを取り出して写真共有アプリを立ち上げ、オンラインゲームイベントの開催日を確認した。そしてポケットにスマホをしまい、父親のほうを見てはその手を握り、「パパ、大好きだよ」と言った。

すると、どこからともなく元クラスメートの女の子が近寄ってきた。「元気?」とジョナさんに声をかけると、返事を待たずに続けた。

「なんとか回復してる」と、17歳のデヴェン・ゴンザレスさんは言った。「あなたの家の下の階に住んでたの。パパは助からなかった」

「本当に残念だったね」とニールさんが言う。

事故の直前、デヴェンさんは両親と一緒にベッドのなかでホラー映画を観ていた。ドンという音がすると、母親のアンジェラさんは、娘のデヴェンさんと夫のエドガーさんに向かって「逃げて!」と叫んだ。アンジェラさんは9階から8階まで落ち、そこからさらに5階まで落下した。ジョナさんを除き、5階より上の上層階で助かったのはデヴェンさんとアンジェラさん、そして飼い猫のビンクスだけだった。メダル授与式の参加者で両親のどちらかを失った子どもは、デヴェンさんと姉だけだった(事故当時、姉は友人たちと外出していた)。通路に立ったまま、デヴェンさんはバレーボール選手としての輝かしいキャリアが中断されたままだと語った。10カ月前の崩落事故で、デヴェンさんは飛んできた深鍋で大腿骨を骨折した。ジャンプするにはまだ早すぎると、医師に止められているそうだ。

「お母様のこと、お悔やみ申し上げます」と、デヴェンさんは言った。

ふたりの会話は、ある女性によって中断された。ジョナさんに握手を求めながら、その女性は「私の心は、あなたとともにあります」と言った。それから30分後、場内に設置された壇上で一緒にレスキュー隊員たちにメダルを授与する際、ジョナさんは彼女が市長であることを知った。

ニールさんは、野球場の控え席に座りながら、次はどんなステップを取るべきかと思案した。レスキュー隊員のひとりが、同僚が復職できていないとニールさんに明かした。毎朝3時に着信があり、電話越しに大の大人が酔っ払って泣きじゃくる音がするというのだ。レスキュー隊員は、自らのメンタルヘルスとの格闘について本誌に語った。「誰かの娘さんに『マンションが崩れた日は、パパの命日なんです』と言われると、とても胸が痛みます」。ニールさんは、打者が待機するネクストバッターズ・サークルに車椅子に乗ったデヴェンさんの母親の姿を認めた。マンション崩落の5日後の誕生日に昏睡状態から目を覚ました彼女は、その直後に夫の死を知った。その悲しみは計り知れない。ニールさんは、PTSDに苦しむ人々を支援するチャリティ団体、フェニックス・ライフ・プロジェクトの資金集めイベントに彼女を招待した。

「自分が何をしようとしているか、さっぱりわかりません」とニールさんは話す。だが、ニールさんは、リクライニングチェアや鍼治療用の施術台のあるコンテナハウスを思い描いている。それぞれのコンテナハウスには、トラウマ専門のセラピストを配備する。コンテナハウスは巨大ハリケーンや山火事、地震、竜巻の現場に真っ先に設置され、ファースト・レスポンダーたちをサポートするのだ。ニールさんは、30年前にカリブ海のアンギラにセレブ向けのリハビリ施設をオープンしようとしたが、挫折した時のことを思い出す。車のセールスマンは、一夜のうちに慈善活動家へと姿を変えた。ステイシーさんのため、ジョナさんのために。

SUV車に戻ったニールさんは、「ステイシーが生きていたことを称えるためです」と語った。「いつまでも喪に服したり、『どうしたら、こんなことにならなかったのだろう? どうしてあの夜、ジョナをうちに泊めろと言わなかったのだろう?』といった後悔に苛まれつづけたりするのではなく。別の可能性について考えることはできますが、現実には、最悪のことが起きてしまった……。でも、それが人生なんです」

Translated by Shoko Natori

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