30位「Breathe」

『No Line on the Horizon』に収録された、カタルシス作用のある激しい楽曲。元々は、2種類の相反する内容の歌詞が用意されていた。一つはネルソン・マンデラをテーマにした内容で、もう一方はジェイムズ・ジョイス著『ユリシーズ』の影響の濃い、より個人的な贖罪の物語だった。結局、後者が採用された。共同プロデューサーのブライアン・イーノは、曲がスタジオ内で80回も「生まれ変わる」のを目撃した。360 ̊ツアーでは、ニューアルバムのその他の楽曲を押しのけて、「Breathe」が毎晩のハイライトとなった。「アルバム全体には、落ち込んだり夢中になったり壁に当たったりといった僕自身の経験が、テーマとして流れている」とボノは言う。「僕にとって全ての音楽は、ある種の祈りのようなものだ」



29位「11 O’clock Tick Tock」★

バンドとしての3枚目のシングル曲で、伝説のバンド、ジョイ・ディヴィジョンのプロデューサーだったマーティン・ハネットが手掛けた。リリース(1980年5月)から数週間後、ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスがこの世を去っている。U2と長い親交のあるシンガーソングライターのギャヴィン・フライデーは、「マーティン・ハネットは髪型も最低だし、サウンドも異常だし、マリファナをくわえた最低野郎だった」と振り返る。そんな百戦錬磨の札付きプロデューサーですら、当時のU2の未熟さに呆れたという。「ハネットは頭をかきながら、リズム隊がリズムを刻めていない、とジ・エッジに愚痴った」とベースのアダム・クレイトンは振り返った。「僕らのレベルは本当にそんな感じだった」とクレイトンは認める。当時の彼らの演奏技術は、ボストンで収録されたライブアルバム『Under a Blood Red Sky』(1983年)で確認できる。




28位「Ultra Violet (Light My Way)」

U2は『Achtung Baby』のレコーディングを開始するにあたり、多くのアイディアを持ち込んだ。結果として、例えば「Ultra Violet」の初期バージョンは2つに分割され、前半部分が「The Fly」という別の曲として仕上げられた。そして残りの部分が、隠れた至宝となる。ブライアン・イーノは「ヘリコプター的なメランコリー」と表現したが、バタバタと羽ばたく雄大さと自暴自棄の両面を捉えた評価だと言える。しつこいほどに「ベイビー」と繰り返す歌詞は、誰かとの関係を歌っていると想像できるが、U2の作品に「ベイビー」という歌詞が出てきたのは、おそらく初めてだろう。「ボノの口から“ベイビー”なんて言葉が出てきたのを聞いて、笑い転げたよ」とプロデューサーのフラッドは言う。



27位「The Unforgettable Fire」

さまざまな言葉とメロディが何層も重なり合い、編み上げられた、パワフルでアトモスフェリックな曲。「映画音楽を頭に描きながら、自宅のピアノで作った。クラシック音楽のようだ」とジ・エッジは言う。曲のタイトルは、シカゴ・ピース・ミュージアムの展示コレクションから名付けられた。同コレクションには、第二次世界大戦中の日本で米国による空襲を受けた被害者らの描いた作品が、展示されている。ミュージアムを訪れたバンドのメンバーは、作品を鑑賞して強い衝撃を受けた。ボノの父親もお気に入りだという曲は、ボノ曰く「灰の中から飛び立とうとする不死鳥のような、東京という街が強く思い起こされる」という。「The Unforgettable Fire」は同時に、ラブソングでもある。「どこまでも黒い瞳」という一節は、おそらくボノの妻アリを歌っているのだろう。



26位「Vertigo」★

ジ・エッジは、2004年の『How to Dismantle an Atomic Bomb』レコーディングに際して、バズコックス、セックス・ピストルズ、ザ・フーを聴き込んでからスタジオに入った。激しいギタープレイの影響は、特にアルバムの1stシングルに色濃く出ている。「ドラムにギター1本、ベース1本、そしてボーカルという、とてもシンプルな構成で、理屈抜きのストレートなロックンロール・ソングさ」とジ・エッジは言う。ボノによる歌詞は、あるナイトクラブでの酷い経験が元になっている。「Uno, dos, trés, catorce(1、2、3、14の意)」もまた、似たような経験から来ているという。「酔っ払っていたんだと思う」とボノは2004年に語っている。



Translated by Smokva Tokyo

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