プロデューサー高橋研が振り返る、中村あゆみや加藤いづみの楽曲



田家:流れているのは川村カオリさん、1990年の曲「神様が降りて来る夜」。詞曲が研さんですね。川村カオリさんの1989年のアルバム『CAMPFIRE』、1990年の『Hippies』、ほぼ全曲の作詞作曲が高橋研さんですね。先週ご紹介した『Free Bird』の中にも「僕たちの国境」がカバーされておりました。研さんの中では川村カオリさんはやってみたい?

高橋:やってみたいということではなかったですね。最初は、辻仁成がプロデューサーで、そのときにもう友だちで、だから頑張れよ的な感じだったんですけど。でも、次のアルバムをやらないことになって、スタッフ的にどうしようかって。ちょっと研やってくれない?ってことだったので、入り口はわりと困ったぞっていうところから、あ、便利なやつがいるみたいな感じだったんですね(笑)。

田家:パンキッシュな音楽とか女性に対してはどんなふうに思われていたんですか?

高橋:まだカオリも子どもだったので、要するに感情を抑えることができなかったり。パンクに憧れている子でパンクな生き方をしていたかと言うと、まあそうでもなかったりするので。彼女が持っている高ぶる気持ちとか、そういうのは歌に上手く利用できたらいいなとは思ってましたけどもね。

田家:日本人とロシア人とのハーフだということで、いろいろ嫌な思いとかいじめられたりということもあったりした子でもあったでしょう。そういう個性が強い人の方がプロデュースしやすいとか。

高橋:どうなんだろうなあ。その場その場で結構みんな個性が違うじゃないですか。どう楽しくレコーディングして、どう曲を作っていくかってことは常に考えますけど、出会ったタイミングとか、その子が普段みんなと一緒にご飯食べる子か、あるいは一人で食べたい子とかいろいろなこともあるのでね。全部その場でその場で対処していくことの方が多かったですね。でもカオリはよくうちに遊びに来てくれてご飯を食べたりよくしていたので。ツッパっている部分がたくさんありながらも「研さん家今から遊びに行っていい?」みたいな子だったので、かわいかったんですよね。

田家:根は人懐っこくてさみしがり屋みたいな。

高橋:そうそう、そういうことです。

田家:2009年に38歳で亡くなった。乳がんだったんですもんね。研さんはカオリさんの曲「僕たちの国境」もそうですし、いろいろ歌い続けてらっしゃる。次の曲もそんな曲なんですよね?

高橋:そうですね。カオリの最後の渋谷公会堂のライブで僕を呼んでくれて、一緒に演奏して歌った曲ですね。



田家:研さんが、この曲を流したいんでよろしくというふうに言われた曲でもありますね。

高橋:はい。さっき話したように最後のライブで一緒に演奏したというのが印象に残っている曲でもありますし、最短で作った曲なんですよね。スタジオ入って急に湧いてきて、俺すげーなって思った、本当に10分くらいで作った曲なんですよ。

田家:そのときカオリさんがヒッピーみたいな格好をしていたとか、そういうのはない?

高橋:全然関係ないです(笑)。

田家:研さんの中のヒッピーはどんなイメージなんですか?

高橋:あのぉ、ワイト島フェスティバルとか、とにかく髪の毛長くてバンダナを巻いて、レイバンのサングラスかけてって感じのイメージですかね。イージー・ライダーとか映画の世界ですね。

Rolling Stone Japan 編集部

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