プロデューサー高橋研が振り返る、中村あゆみや加藤いづみの楽曲



田家:ついに出ました、1985年4月発売、中村あゆみさん「翼の折れたエンジェル」。あゆみさんは1984年9月に「Midnight Kids」でデビューして、ずっと研さんは詞も曲もお書きになって。この曲はどうですか?

高橋:この曲も本当は自分の自分が歌っていた曲で、あゆみが1枚目のアルバムを出してライブでやれる曲も何曲かって限られていて、新宿のルイードっていう当時あったライブハウスで曲数が足りないってことになって。じゃあ、ちょっと俺のリリースしてない曲があるから、それをちょっと歌ってもらおうって何曲か紛れさせた中にこの曲があって。ライブでみんな盛り上がるんですよ。なんかいい曲って言われてるねって感じで盛り上がってきて、それでシングルみたいになっていくんですけど。

田家:翼の折れたエンジェルというのはあゆみさんのことを思って書いたということではないんですね。

高橋:じゃないです。これは、当時付き合っていた女の子と別れまして(笑)。その子がお医者さんの卵だったんですよ。当時、しがない歌歌いになれるかどうかも分からない僕と、医者の家の娘が付き合っていて絶対一緒になれないじゃないですか。ヒーローになれたらみたいな気分もありながら作った歌なので、あゆみのことではなくて自分自身がこのピュアな気持ちは天使みたいだけど、でも翼は折れているよなって気分だったんですよね。

田家:でもあゆみさんが初めてのプロデュースなわけでしょう。研さんは学生時代、プロデュース研究会。当時思っていたプロデュースということと、あゆみさんと出会って自分がおやりになるようになってからのプロデュースで考え方は変わってきたものですか?

高橋:もともとプロデュースなんて言葉がなくて、当時クレジット見たら日本のアルバムはDirected byみたいなことだったんですよね。Produced byというクレジットは例えばそこのレコード会社の社長さんだったり。なんか違うなと思っていて、洋楽のアルバムを見たらプロデュースってちゃんとエンジニアだったりアレンジャーだったりしているから、そういうふうにしたいんだって話をあゆみのときのレコード会社にして。ギャランティはそんなにいらないから、パーセンテージでくださいって。洋楽のアーティストを見たらみんなそうだったから。だから、僕は本当に少ないパーセンテージですけど、やってみたいんだって話をして。パーセンテージもらったプロデューサーって僕が日本で最初かもしれないです。

田家:学生時代のプロデュース研究会はコンサートをやったりするイメージが強かったわけでしょう。でも研さんの中ではアルバムをプロデュースするみたいなことは既にそのときからあった?

高橋:そうです。三浦光紀さんがプロデュース論みたいなものを雑誌に載っけていてそれを読んですごく影響されて。向こうはこうなんだよというのがすごい書かれていて、僕はそれを目指すって書かれていたので正しいなと思って。

田家:三浦光紀さんもメーカーの人でしたもんね。中村あゆみさんに会わなかったら、今のご自分というのは?

高橋:ないでしょうね。全く違う仕事をやっている気がします。

田家:今日最後の曲はご自身で歌っている「翼の折れたエンジェル」をお聴きいただきます。2016年に出たアルバム『ANTHOLOGY 1979-1989』の中の曲です。



田家:さっきの話を伺うと、あの頃の俺の歌ってことになるわけですね。

高橋:そうですね。

田家:さっきシンガー・ソングライターだからって話がありましたけど、シンガー・ソングライターで生きていくか、ソングライターとしてもっと仕事を増やすか悩んだことはあまりなかった?

高橋:うーん、なんて言うんですかね。僕、もともと動機が不純なので。プロデュース研究会にいてたときに先輩方がユイ音楽工房の後藤由多加さんという社長さん、漆原さんというキャロルをやっていた方がよくいらっしゃっていて、その2人を見ていたものですから。裏方とかプロダクションをやっている人たちのかっこよさとか、業界っぽいノリとか、わーかっこいいな、この人たち28でジャガー乗ってるの?って感じがあって(笑)。だから、プロダクションを作りたかったんですね。当時僕らの周りには優秀なシンガー・ソングライター、佐野くんとか安部恭弘とか、長由悠季 大澤誉志幸?とか周りにいたので誰かできるかなっていう感じがあったりしながら生きていたので。それが上手くいかなくて、じゃあ自分で歌うわっていう。学生プロダクションみたいな感じで始めたので、全然偉そうにシンガー・ソングライター云々って言ってますけどそんなことではなくて就職したくなかった。一発当てたかったただの若いあんちゃんだったんですよね。でも、それでライブをやっている間におもしろいなこれって思うようになってきて、でもそのときには時すでに遅しで今更気づいて、ちゃんとライブできないじゃんって感じでプロダクションからも切られ、レコード会社からも切られって話だったんですね。あれ、何の話でしたっけ(笑)。

田家:今の自分がここから始まっているんだという。

高橋:ベンジャミン・バトンみたいに逆行していっているんです。どんどん音楽好きになっていっているというか。

田家:そういう意味では今回の『Free Bird』は今までやれなかったことも含めて、全部やれたアルバム。

高橋:わりとそうかもしれないですね。しかもまだもっといい音作れるな、俺っていうのがちょっとあったりするので。まだまだ行きたいなという感じですね。

田家:次のアルバムで楽しみにしております。

高橋:また呼んでくださいね。


左から、田家秀樹、高橋研

Rolling Stone Japan 編集部

Tag:

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE