日本最初のバンドブームとなったGS仕掛け人・本城和治とともに振り返る



田家:ザ・サベージの曲をもう一曲。196610月発売の二枚目のシングル「この手のひらに愛を」。ザ・サベージは寺尾聰さんがベースとボーカルで、ギターとボーカルには後にYAMAHAのプロデューサーとして中島みゆきさんや長渕剛さんを育てる奥島吉雄さんが在籍していたグループです。シャドウズのコピーもやっていたとか。

本城:そうですね。もともと彼らはインストグループなので、歌ったことがないんです。シャドウズのコピーをやらせれば彼らが最高だったでしょうね。でもこれで寺尾くんと奥島くんがデビューできてよかったです。

田家:この曲の詞曲は利根常昭さん。それ以外のシングルは、先ほどと同様に佐々木勉さん。利根さんはスパイダースの「太陽の翼」を書かれた方だった。

本城:シンコーミュージックさんが契約していた作家で。なかなかいい曲も書きますし、アレンジャーとしてもいいアレンジされていたので、色々とやっていただきました。

田家:インストのバンドだった分、歌ものに対しての意識はあまりバンドの中で強くなかったんじゃないですか?

本城:そうですね。歌入れの時は多少苦労しました。

田家:しかも二人が歌うわけですもんね。利根常昭さんは、関西出身のザ・リンド&リンダースのシングルも書いていると。ザ・リンド&リンダースも本城さんが手掛けていたんでしょう?

本城:そうです。利根さんは他のグループサウンズにも曲を提供していたと思いますけども。

田家:ザ・リンド&リンダースは関西のグループサウンズの草分けだった。

本城:関西のザ・スパイダースと呼ばれていて、ずいぶんレコード出したんですけど、残念ながらアルバムを作りには至らなかったんですよね。ある程度曲は売れたんですけど、なかなか関東では売れなかったんです。地盤が大阪なもんですから、大阪のテレビでレギュラーだったりとかはしたんですけど、東京でテレビ出演なんかできなかったので。

田家:メディアの問題もあったんですね。

本城:ザ・リンド&リンダースはリーダーの加藤ヒロシがいい曲を書くんですけど、やっぱり曲のセンスが関西っぽいんですよね。

田家:でも加藤ヒロシさんはザ・フォーク・クルセダーズの「戦争は知らない」も作曲を手掛けてますよね。作詞は寺山修司さん。今回色々と調べていく中で、加藤ヒロシさんと寺山修司さんは仲が良かったらしいですね。競馬場で知り合ったとか。今週は調べていて楽しいことが色々ありました(笑)。

本城:加藤ヒロシさんはその後ロンドンに行って活躍されていたみたいですね。

田家:ロンドンで北山修さんが出会っていたらしいんですよ。この番組で北山さんから聞きました。そういうつながりもあるんですね。関西と関東の話は後ほどまた伺おうと思っています、今日の3曲目は、19676月発売の ザ・カーナビーツで、「好きさ好きさ好きさ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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