日本最初のバンドブームとなったGS仕掛け人・本城和治とともに振り返る

恋の朝焼け / ゲイリー・ウォーカーとザ・カーナビーツ

田家:19682月発売。これはゲイリー・ウォーカーという名前は、さっきちょっとお話に出たウォーカー・ブラザーズに関係してそうですね。3人組の一人でした。

本城:ウォーカー・ブラザーズは前年にプロモーションしたんですけど、すごく人気で。1968年の正月に来たんですが、もう解散していたんですよ。私が初めてロンドンに行った時に、翌日解散すると言われて。それで日本に来て公演してほしいということで、1968年にはじめて日本武道館公演も行ったんです。その時にせっかく来たんだし、ゲイリー・ウォーカーのレコードもなかなかなかったもんだから。ザ・カーナビーツをバックに来日公演の前に一曲レコードにしたんですね。

田家:この曲のクレジットは漢字になってるんですよね。スコット・ウオーカーも漢字表記で、作曲が乗輪寺モトオさん。これは本城さんですか?

本城:そうです(笑)。この時はレコーディングが決まったんですけど、やはり曲探しで日にちもないし誰に頼んだらいいのかさっぱり見当もつかないのでこういうことに。ゲイリーってそんなに歌は上手くないんです。なので、すぐ鼻歌でも歌えるようなシンプルな曲じゃないとと思って私がレコーディング前日にブルースコードでメロディをつけて、簡単に歌える8小節のサビも作ってスタジオに持ち込んだんです。それで、ゲイリーと仲の良いスコット・ウォーカーもレコーディングに立ち会ってくれて。彼は非常にプロデュースに関心が高くて、まず詞も作ってくれたし、音出ししたらドラムのチューニングまで全部やってくれて。要するに、イギリスのビートルズみたいな重いチューニングの仕方を日本人は知らなかったんですよ。スコットは良く知っていて、こうやればイギリスの音ができるんだ! と思って。ただ、レコーディング終わってみるといろいろな音を重ねちゃったんでドラムの音があまり聞こえなくて(笑)。マルチレコーディングじゃないしね。最終的にスコットと僕とスコットのマネージャーのコーラスも入れたし、スコットのピアノも入れたりしてたくさんダビングしてるんですよ。

田家:バンドメンバーもいたんでしょう?

本城:オケ録りの時はいましたけど、コーラスとか歌入れする時にはいませんでしたね。

田家:そういう時代でありました。ゲイリー・ウォーカーとザ・カーナビーツで「恋の朝焼け」でした。

Rolling Stone Japan 編集部

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