シティ・ポップの源流、70年代後半の名曲を本城和治と語る

I LOVE YOU / 樋口康雄

田家:この曲から何曲かは知られざる才能、早すぎた名曲ということになるんでしょうか。1973年2月発売ピコの「I LOVE YOU」。2枚目のシングル「アダムとイブも」はB面の曲です。この曲を選ばれているのは?

本城:当時、1972年、彼はなんでもできる男でね。その後、ニューヨーク・フィルとレコーディングしたり、ピアノ協奏曲やバイオリン協奏曲や、弦楽四重奏やいろいろなクラシックの曲を書いたりして。手塚治虫さんからもすごく気に入られてね。手塚さんの音楽もやったりとか、CM音楽もやって。とにかく天才としか言いようがない。このアルバムを作るきっかけになったのは、この前の石川セリのデビューアルバムを彼が「八月の濡れた砂」以外は全曲彼が作曲選曲担当して、それがすごいおもしろかったんで。ほとんどそれと同時期にこのアルバムを作ったんです。

田家:高校在学中からNHKの音楽番組のアレンジをしていて、ステージ101のグループ、シング・アウトのメンバーでもあって、当時から天才少年と呼ばれていた。アメリカの音楽出版社と作家契約した第一号なんだそうですね。

本城:たまたまMCAの出版が日本にあったので、そこの制作と親しかったんで、そこからの紹介ということもあったんですけれども。ただこれ、全然売れなかったんですよね。はっきり言って。まあ、プロモーションのしようがなかったということもあったんですけどね(笑)。ところが、これが90年代中頃からね、要するにクラブミュージックというか、クラブシーンが大流行の時代に、渋谷系の音楽が流行ったのと並行して、誰が発火点か知らないんですが、あるDJがどこかでかけたと思うんです。それをきっかけにこの曲が急に評判出てきちゃって。レコードがどこ行ってもなくて、えらいことにアナログ盤が高騰して、CDレコード出さないかというのが殺到していたみたいですけどね。もうとっくに廃盤になっていましたけどね、30年経っていて。

田家:1972年9月に出た1枚目のアルバム『ABC~ピコ・ファースト』というアルバムの中に入っていた。

本城:はい。しかも、これ2枚目のシングルのB面なんですよね。時代が変わるとやっぱり、渋谷系のカジヒデキの音楽とかに共通するところがありますよね。

田家:ありますね。作曲、編曲、ボーカル、キーボード、オーケストラアレンジ全部一人でやっていた。そういう人でした。後半はそういう再評価されてきている曲、再評価されている才能という流れでもあります。次の曲は78年5月に発売になった網倉一也さんで「Good-Bye横須賀」。これはアナログ盤なので、ちょっとノイズが入ります。

Rolling Stone Japan 編集部

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