松本隆、シーン復帰後から2000年代までの歩みを辿る



1999年のシングルChappieの「水中メガネ」です。このChappieは松本さんのホームページ、風街茶房の着せ替えキャラクターだったんですね。ボーカルは匿名で歌っていて、その中には森高千里さんもいたという。今で言う、ボカロみたいなものでしょうか。このシングル「水中メガネ」は作曲が草野マサムネさん。シングルのB面「七夕の夜、君に逢いたい」は細野晴臣さんだったんですね。松本さんが他の世代の作詞家、特に阿久悠さんとの1番大きな違いは作曲家でしょうね。作曲家の世代が時代によって変わっていく。阿久悠さんは演歌、歌謡曲が多かったですから、作曲家が限られていた。ある年代の人が多かった。松本さんは細野さん、大滝さんを筆頭にそこからその時代、その時代の新しい才能、新しいソングライターときちんと組んでいるんですね。彼がプロデューサーでもあったから、できたことでもあるんだとは思うんですけども。草野さんも松本さんと組むのはこれが最初ですね。

新しいシーンみたいなものに対してのあるアドバイザー。いろいろな人の話を聞いている中にライター・編集者の川勝正幸さんとか、ディレクターの堀越信哉さんがいて、川勝さんははっぴいえんどフリークのエディター・ライターですね。『ポップ中毒者の手記』という名エッセイ集がありますけど、堀越さんは松田聖子から入ったという人なんです。松本さんを軸に世代を超えたいろいろな才能が集まっている。そういう関係が史上最強、唯一無二の作詞家にしている。それに対して応えている、詞をきちんと提供している。「水中メガネ」は松本さんがスピッツのコンサートを見ていて情景が思い浮かんだ。その帰りに書いたという詞なのですが、この詞もあらためて詞としてきちんと読んでいただきたい。そんな1曲であります。

で、復活をして、こういう次の世代とのシングルも作って。2000年代に入ってから傑作アルバムを2枚残すんですね。その1枚が2000年のクミコさんの『AURA』。なんでクミコさんが松本さんと組むことになったかと言うと、あがた森魚さんの『噫無常(レ・ミゼラブル)』の中の「最后のダンスステップ」をクミコさんがカバーしていたということで繋がるわけです。松田聖子さんとは違う意味のエロスの傑作、全面プロデュース、全曲作詞、クミコさんの『AURA』がそういうアルバムでした。

Rolling Stone Japan 編集部

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