岡村靖幸『yellow』、当時のプロモーターと未だ得体の知れない才能について語る

岡村靖幸





田家:お聴きいただいているのは西岡さんが選ばれた5曲目「RAIN」です。これを選ばれているのは?

西岡:ちょっと印象的な最初の弦の使い方みたいなものも、このアルバムの中では新鮮な感じがしました。

田家:さっきの「Water bed」の後ですもんね。アルバムの流れがね。

西岡:「エリナーリグビー」みたいな感じというか、そういう洋楽を聴いてきた者としてはいいなと思いましたよ。

田家:さっきちょっとお名前が出た小林和之さんは今、ワーナーの社長さん。後にEPICの社長さんにもなって。当時は大沢誉志幸さんのディレクターもやってらっしゃった?

西岡:そうですね。彼はその頃もう、『そして僕は途方に暮れる』とかのヒットも出していたし、マーチンもそうですしヒットメイカーなんですよね。

田家:岡村さんがEPICで出すようになった経緯を探していたら、自分のデモテープを作って、これをどこのレコード会社に持っていくか。EPICに電話して、「大沢誉志幸さんの担当の方お願いします」って言って、小林さんにデモテープを渡されたというのを見ました。

西岡:当時は直接的な売り込み。このディレクターに俺の楽曲を担当してもらいたいんだみたいなのが結構ありましたから、たぶんそういう経緯でまず小林にテープが行ったんじゃないのかなと思います。

田家:「RAIN」を聴いていて、どこか切羽詰まっている感じがあったんですよ。〈何が僕にできるのだろう〉とか、〈何が僕に言えるのだろう〉とか、〈君を 見ているのは少しつらい〉とか、〈とてもつらい〉とか。

西岡:彼自体も1stアルバムを作るにあたり、いろいろな想いがあった。この曲自体が昔からあった曲かどうか、このアルバムのために書いた曲なのかはちょっと分かりませんけども。そういう彼の動いていく感情の起伏も垣間見えるかもしれないですね。

田家:プロモーション、取材に一緒に行かれるわけでしょ。今回、アナログ盤になった『家庭教師』の時は取材は一切受けない。福田さんに全部やっておいてくれという代弁を頼んだという話があって、先週福田さんにお願いをしたんですが、『yellow』の時は西岡さんと岡村さんで媒体を回ったんですか?

西岡:そうですね。僕ともう1人、当時新入社員で入っていた、今も集英社で活躍されています吉田好見という女性の方がいた。

田家:木崎賢治さんの本を作ってましたね。

西岡:彼女が担当していたので、手分けをして彼女が行ったり、僕が行ったりという感じで。もちろん、彼にはハートランドという事務所がちゃんとありましたので、そこの担当者がついているというケースもありました。

田家:所謂普通の新人のように取材で訊かれたことには答えたりしてたんですか?

西岡:あ、ちゃんと答えてましたよ。

田家:ちゃんと答えてましたよって変な言い方ですけど(笑)。

西岡:僕の印象だと、結構サービス精神も旺盛だったと思うんです。だから、訊かれること以上に喋っていたような気がしますね。

田家:当時はまだ新聞とか媒体がアーティストに対してやさしくないというか、音楽に対して謙虚じゃないから、「君はいつデビューしたの?」みたいなことも訊くような、バカな新聞記者がいたりするわけでしょ(笑)。

西岡:まあ、でもみんな結構親切というか、アーティスト想いの担当者の方がいっぱいいらしたと思いますね。当時媒体で言うと、EPICは雑誌と取材と、ライブというものがメインだったので、そこは丁寧にやっていたという感じです。

田家:そういう当時の媒体の人がこの「RAIN」をどんなふうに評価したんだろうと思いながら、お聴きいただけると思います。今西岡さんがカバンの中から当時のアナログ盤のLPをお出しになって、「え、それ当時のですか!」って話になったんですけど、「Water Bed」がB面の1曲目だった。びっくり。あーそうだったんだっていう感じですね。

西岡:アナログ盤をひっくり返して、1曲目いきなりですから。まあ、そうだね、やっぱり。作戦的なことだったかどうか、本人の意思だったかは分からないですけど、ガラッと変わるわけですよね。

田家:いろいろな要素があるアルバムが、2枚目の『DATE』になると変わってゆくというのが来週のテーマでもあるわけですが、1stアルバム『yellow』から7曲目「RAIN」でした。

Rolling Stone Japan 編集部

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