Broken Kangarooが語る、“架空のサントラ”からスタートした生きるための音楽制作

―その時期には映画監督が夢だったそうですが、音楽と並行して映像にも興味を持ちだしたということですか。

そうなんです。小学生の頃、レゴブロックにハマっていて。レゴブロックって、マーベルとかスターウォーズとか、映画の商品が出るじゃないですか? それを集めて、自分で戦わせている様子をiPadに入っているiMovieでコマ撮りしたり予告を作ったり、自分だけのスターウォーズの展開を創作するのが楽しくて、「絶対映画監督になろう」と思っていたんです。「そのために今できることはなんだろう?」って考えて、中学2年生のときに映画を作るワークショップに参加したんです。これが僕の原点だと思っているんです。そのワークショップって、全国から集まった中学生で撮影から編集から、映画音楽まで全部自分たちでやるんです。そのときに僕がバイオリンを弾いて、ギター、ピアノと3人だけで劇伴を作ったんです。それが自分の好きな映像とやってきた音楽が融合した瞬間で。そこからは劇伴の世界に魅了されました。だから、最初はインストゥルメンタルだけを作っていました。具体的に「こういう映画のための音楽」というわけではなくて、悲しみのシーンが自分の中にあったら、そういう音楽を作ってみたりとか。

―“架空のサントラ”みたいなことでしょうか。

ああ、めっちゃいいですね(笑)。本当に“架空のサントラ”っていう感じでした。

―その頃には、バイオリン以外の楽器も始めたんですか?

ちょうどバンドへの憧れも出てきたので、同じ4弦つながりでベースを始めました。じつは小6の頃にアコギを買って一度挫折していて。でもベースは楽しくてすぐに弾けるようになって、その後にすぐギターも弾くようになったんです。タブ譜も苦手だったので、YouTubeで「弾いてみた動画」で手元を見ながら練習してました。

―楽器を覚えて、今度は自分で歌うようになるわけですよね。

歌は、最初は全然自分で歌うつもりはなかったんです。中3のときに、映画作りのときに出会った子たちとバンドを組んだんです。そのときに僕はベース兼コンポーザーとして加わっていて、ボーカルはギターの子に歌ってもらっていたんです。その彼は今回の作品でも一緒に歌ってくれています。

―それが、Daimeiさん?

そうなんです。僕の数少ない大事な友だちです(笑)。彼がアメリカの大学に行くことになって、歌う人がいなくて自分で歌い始めたんです。

―そこで組んだバンド名が「Broken Kangaroo」。どんな意味で付けたんですか?

英語ペラペラなDaimeiと一緒に考えたんですけど、本当にまったく意味はないです(笑)。カッコイイ英語でパンキッシュな言葉を作ろう、みたいな感じで5つぐらい出した候補で一番マシだったのが「Broken Kangaroo」だったんです。でも今は愛着が湧いてます。

―この先も絶対由来を訊かれますよね(笑)。バンドでBroken Kangarooをやっていたときは、ライブもやったんですか?

中3のときに、吉祥寺のライブハウス「ROCK JOINT GB」の「JYOJI-ROCK」というコンテストに、RADWIMPSのコピーで出たのが初ライブでした。そのときはベーシストとしてですけど。

Rolling Stone Japan 編集部

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