moonriders特集、鈴木慶一の自薦22曲と共にデビューから現在まで46年の歴史を語る



田家:3枚目までの無国籍オリエンタリズムがちょっと変わってきました。

鈴木:この曲は全てシンセサイザーでプログラミングされていますね。ちょうどこの頃イエロー・マジック・オーケストラが登場するんですね。我々も全部シンセサイザーで曲をやってみようじゃないかと。そして、あえてスティールパンで細野さんに来ていただく。

田家:それはあえて(笑)?

鈴木:あえて。このねじれた感じ(笑)。スティールパンという非常にややこしい生楽器を。楽器も持ってて演奏出来るのは細野さんしかいなかったし。

田家:中南米風なというか(笑)。

鈴木:ご本人はYMOを作っているのにね。

田家:生で叩いた?

鈴木:そうです。それが組み合わせとしておもしろいんじゃないかと、話題性もあるんじゃないかと思ったんですね。

田家:テクノをやろうと思ったのはどういう?

鈴木:シンセサイザーは本当にギリギリ『火の玉ボーイ』で間に合うんですよね。自分で買ったシンセサイザーは2、3曲入ってます。『moonriders』あたりからはYMOのプログラミングをその後するようになる松武秀樹さんに来てもらう。それが何曲かアルバムの中に必ずあった。そういう繋がりがあって、シンセサイザーとの親和性は、我々は高かったと思いますよ。他にもキーボードに関してはいろんな機種を積極的に使ってました。

田家:一番積極的だったのはどなたですか?

鈴木:岡田くんですね。やっぱりキーボードプレイヤーなので。あと、かしぶちくんですね。なぜか必ず自分の曲にシンセサイザーを入れる。それもポカーンという一発だったり、さっきの「ハバロフスクを訪ねて」にも入ってますけどね。

田家:このアルバム『ヌーベル・バーグ』のエグゼクティブプロデューサーがいた、朝妻一郎さんだった。

鈴木:そうですね。クラウンレコードとしては何かヒットを出したいということで、朝妻さんをエグゼクティブにして時々観に来てもらって、路線を整えてもらおうと思ったんじゃないですか。でも、私たちはあまり言うことを聞かなかったからねー。

田家:はははは! 聞かないでしょうねー(笑)。

鈴木:今は他人の意見聞きますけど(笑)。朝妻さんのおかげでこのアルバムでジョン・サイモンの「My name is jack」をカバーできたと思ってます。カバー曲に勝手に日本語をつけちゃって、本来日本語詞を認めてもらうには本国に送って、本人が確認しなきゃいけないんです。なんかそのへんを上手くすり抜けたかなっていうことですね。「トラベシア」もそうです。

田家:それは朝妻さんだったからできたということですね。次は1979年のアルバム『MODERN MUSIC』から「ヴィデオ・ボーイ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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