成功からの転落 米ロックバンドを崩壊させた「自称投資家」「洗脳」「暴力」【長文ルポ】

バンド結成のきっかけ

「エド(・コワルチック)と新しいメンバーがLIVEとして活動しているのを見ると、強い違和感を覚える」と、現在52歳のテイラーは言う。「実は先日、パニック発作を起こしたんだ。『やばい、遅刻したかも。会場はバッファロー? じゃなくてどこだっけ? 俺、やっちまったのか?』って。公演初日に会場の外で『求職中』と書かれた看板を持って立っていようかってパトリック(・ダールハイマー)と冗談を言ったよ」

テイラーは毎朝4時半に起き、法律文書を読みふける。目の下にはクマがあり、長いヒゲに白髪が混じっている。茶色い頭の毛のほうは、少し薄くなりつつある。テイラーは、短い言葉でLIVE崩壊までの経緯を勢いよく吐き出した。だが、実際何が原因だったのか、当の本人もいまだに理解できずにいる。

「俺は、ただここに座って」とテイラーは口を開く。「どうして俺のバンドが崩壊したかを理解しようとしているんだ」

1990年代に活躍したオルタナティブロックバンドのなかでも、LIVEはかっこよさの尺度的にはマッチボックス・トゥエンティとクリードの中間に位置する。アリーナを満員にしていた人気の絶頂期においても、音楽評論家たちはLIVEを相手にしようとしなかった。「どの曲もソフトなヴァースと馬鹿でかい音量のコーラスという同じようなグルーヴに支えられている」と書かれた本誌の1995年5月号のライブレポートは、当時の状況をよく表している。「たとえば、ピクシーズに代表されるような大音量と違い、音量を弄ぶLIVEの手法はジム・キャリーのコメディ映画のような予定調和を感じさせる」

LIVEは、グランジとティーン・ポップの端境期のMTVを代表するような存在だった。だが、若い視聴者のほとんどは「エド・コワルチック」という名前を発音することもできなければ、他の3人の名前を覚えることもできない。そのせいか、LIVEは“And to Christ a cross/And to me a chair”や“Her placenta falls to the floor”などのフレーズを大真面目に歌える、存在感抜群のスキンヘッドのバンドとして認識されていた。

たとえメンバーの名前がお茶の間に浸透しなくても、LIVEは1994年と1999年のウッドストック・フェスティバルでパフォーマンスを披露し、『MTV Unplugged』への出演も果たした。ローリンストーン誌の表紙にも抜擢されているし、何百万枚ものアルバムを売り上げ、米ビルボードの音楽チャートAlternative Airplayに12年にわたって17ものヒット曲をランクインさせた。2000年代が目前に迫るころには、メンバー全員が大金持ちになっていた。

「友人や親戚を自称するありとあらゆる連中が、ある日突然事業を興すから融資してくれとか、金を貸してくれとか言ってくるようになった」とテイラーは話す。「他人の家に家具を備え付けてやったこともあるし、他人に車を買ってやったこともある」

1980年代半ばにペンシルベニア州のヨークという労働者階級が暮らす小さな町で青春時代を送っていたLIVEの4人には、こうした金満生活とそれに起因する問題は雲の上の出来事のように思えたに違いない。ティーンエイジャーだったテイラーとグレイシーは、ザ・キュアーやジョイ・ディヴィジョン、デペッシュ・モードなどのオルタナティブ・ロック・バンドという共通の趣味がきっかけで仲良くなった——当時、クラスメイトのほとんどはクワイエット・ライオットやラットといったヘアメタルバンドに夢中だったのだ。「週末は、できる限りグレイシーの自宅で過ごすようにした」とテイラーは言う。「グレイシーのベッドの隣にキャスター付きのベッドを並べて寝るんだ。『ときめきサイエンス』(1985年)のようなジョン・ヒューズ監督の映画を一緒に観たよ。俺たちは、いつも一緒だった」

他のあらゆることはさておき、この点についてはグレイシーも同意している。「俺たちは親友だった」とグレイシーは語る。「いまでも時々U2の昔の曲が流れてくると、『チャド(・テイラー)とよく聴いたな』ってあの頃を思い出すんだ」

8年生になると、テイラーとグレイシーは友人のパトリック・ダールハイマーをベーシストに迎えてバンドを結成した。学校主催のタレント発掘コンテストに応募し、U2の「Like A Song」とニュークリアスの「Jam On It」のインストメドレーを披露した。観客席から彼らを見ていた少年がいた。エド・コワルチックだ。コワルチックは運動場でテイラーを追いかけ回しては、彼をボコボコにしていた。「ある日、授業中に先生の許可をもらってトイレに行こうとした。廊下を歩いていると、向こうからエドがやってきた」とテイラーは回想する。「エドを見た瞬間、『やばい、またここでボコられんのか』と思った。恐怖で胃がよじれそうだった。するとエドが近づいてきて、『君のバンドに入れてくれないか』って言ったんだ」

【写真を見る】1988年撮影、ペンシルベニア州の小さな町ですべてがはじまった

Translated by Shoko Natori

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