成功からの転落 米ロックバンドを崩壊させた「自称投資家」「洗脳」「暴力」【長文ルポ】

悪化するメンバー間の関係

次回作に取りかかるにあたり、LIVEはプロデューサーのハリスンを外してコワルチックの神秘主義に傾倒していった。ニューアルバムは『Secret Samadhi』(1997年)と命名され、リードシングルとして「Lakini’s Juice」という仰々しいバラードがリリースされた。だが、サマーディ(訳注:心が一点に集中し、安定した境地)やラキーニ(訳注:ヨガの世界における主要なチャクラを司る存在)という東洋哲学的なコンセプトは、当時のロックファンには馴染みのないものだった。「周りからは『曲にラキーニなんてタイトルをつけるものじゃない』とか『アルバム名がサマーディだなんて、どうかしてる』のようなことを言われた」とテイラーは振り返る。「でも、俺たちのエゴを刺激することが起きた。リリースされるや否や、『Secret Samadhi』が音楽チャートで1位を獲得したんだ。当時の俺はまだガキだったから、頭の中で『ほらみろ、間違ってたのはお前たちのほうだ』と思った」


LIVEが表紙を飾った本誌の1996年1月25日発売号

だが、バンドは水面下で崩壊寸前だった。テイラーの主張によると、自分がソングライティングのほとんどを手がけていることを理由に、コワルチックが途方もない額の配分比率を要求してきたのだ。その結果、ふたりの間に亀裂が走り、その亀裂は二度と消えることはなかった。1999年にリリースされたアルバム『The Distance to Here』では、コワルチックの態度がさらにエスカレートしたとテイラーは言う。コワルチックはすべての曲のソングライティングを自ら行い、残りのメンバーをサポートミュージシャンとして扱ったのだ。「バンドでの俺のクリエイティヴィティは、あの時点で終わった」とテイラーは話す。当時のことを思い出すと、いまでもつらいと言う。「結婚相手に『あなたとはもうセックスしない。でも、別れるつもりはない』と言われたような気分だった。俺の人生でもっとも悲しい瞬間だ」

グレイシーは、コワルチックの要求は理にかなっていると考える。「昔からエドは、LIVEのすべての曲の歌詞とメロディをつくってきた。それなのに、チャドは自分の手柄にしようとした」と続ける。「たしかに、チャドが曲につながるようなギターリフを持ってきたこともあるが、だからと言ってチャドが曲を書いたわけじゃない」

それでもグレイシーは、コワルチックの態度がバンド内に波風を立てたことには同意する。「俺たちがニュージーランドでツアーをしていたとき、チャドからバルコニーにぶら下がって危うく飛び降りるところだったという話を聞かされたことがある」。グレイシーは次のように付け加える。「本当かどうかはわからない。あいつは何かと物事をドラマチックにするから」

テイラーは当時のことを否定するでもなく、2000年代の初めは重度のアルコール依存症に悩まされていたと明かした。いまは「アルコールとより健全な関係」を保ち、治療のおかげで以前より安定していると語る。そう言いながら、当時のメンタルヘルス関連の問題は、ソングライティングに関する不和に起因するものだと言って譲らない。

「俺は、自己治療やクリエイティブな人間であることの難しさを乗り越えるための自分との闘いについては比較的オープンにしてきた」とテイラーは言う。「多くのミュージシャンがそうであるように、自分のために健康的な習慣を身につけなければ、いつかは自殺するという恐怖を抱いていたんだ。(中略)ソングライティングやエドとの関係に関する複雑な問題を言葉で表現しようとすると、グレイシーが俺のことや俺たちの創作プロセスについて何もわかっていなかったことが見えてくる」

Translated by Shoko Natori

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